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7月, 2016の投稿を表示しています

榧盤~木口の宇宙的紋様

3枚の将棋盤の木口の写真を撮ってみた。ちょっとフラッシュが反射して映りが悪いが・・・。 左から、柾目(天柾か)、木裏、柾目だ。 一本一本の年輪が、時間にして1年が刻まれていると考えるなら、こんな小さな写真の中に、数百年の時間が刻まれていることになる。受けとめる発想や視点を少しだけ変えてみると、ここにはまさに宇宙的時間が込められているのだとも言える。 もうひとつ判るのは、榧の木の根付いた場所の生育環境である。種がどこに根付くのかというのは、人工的植林ではない限り、偶然の気まぐれで、たまたま根付いてしまった場所が、厳しい環境だったかそうでなかったかは、年輪の幅で判ってくる。 2枚目までの画像より、3枚目の年輪の幅は広い。それだけ楽に成長できたということだ。でも逆境に耐えて育った榧が刻み込む細かな年輪の方が、やはり眺めて風合いがあるのだ。 おそらく人間であっても、厳しい現実に耐えて齢を重ねて育ちきった人物の方が、スクスクと育った人物よりも、情緒的な風合いにより深いものがあるのと同じことだろう。ただ人間の場合は、見える表の顔の他に隠された裏の顔もあるから、少しだけ複雑にもなるのだが・・・。 ともあれ、榧の木口の表情に宇宙的時間を感じると、興味がさらに湧き、眺めていても少しも飽きない。 こんな楽しみもあるんだと、改めて感じ入る今日この頃・・・。

榧盤の香り

しばらく前に榧の将棋盤が届いた。桐の蓋を開けると、プーンと榧特有の香木の香りが部屋の中を駆け巡るように漂ってくるから、一般論として日本産の榧盤であるのは間違いないだろう。そこから先のよもやまについては、残念ながら専門家ではないから判然とはしないのだが・・・。 5寸にほんの少し足らない柾目で、脚にはオオイレが施されている。 まあ、私の手元にあるなら、十分以上の盤だろう。 ほんの少しの不満を、敢えてあげつらうなら、縦横のサイズに少しばかりの余裕が足らないことだ。                                                                                                                                                                                が、それとても今後使い込んで直しをすることもないだろうから、私にはあまり重大な瑕疵とはならない。 じっくりと見回しても、盤にはほぼ傷もないから、あまり使われずに飾られていただけのような気がする。こんな出会いは、偶然の賜物である。 以前から決意しているように、いつかは「前沢」の盤(囲碁でも将棋でもどちらでも構わない)と出会いたいから、それまでのつなぎの気持ちなのだが、それにしては満足度の高いものだったから、何となく幸福感を覚えている。ルンルン・・・。 でもなあ・・・。これで、普段使用の中国産3寸卓上盤に、うねるような木地模様からおそらく九州産だろう天柾の5寸盤と木裏盤、それに5寸の木裏の囲碁盤と、そして今回の将棋盤。いつの間にかどんどんと部屋が狭くなってきているのは、どういう訳だろう? 将棋盤が増えたのは、ここ5年ほどの間のことだが・・・。たぶん度し難い性格の反映なのだろうと、少しばかり反省もしているが、中国産以外の盤の桐蓋を開くと、今は4重奏で榧特有の香りが漂ってくるから、止まらない、止められないのだ・・・。 ハイ、私はアホなのでしょうねぇ・・・本当に。だって、背中を病んでからは、脚付盤の前で長くは座っていられる身体じゃないんですから・・・。ああ、それなのに、それなのに・・・。アホそのものと言

巻菱湖

この3日間出かけていて、昨夜帰って来ると、待ち構えるように知人から連絡があった。 曰く、「某所で賑やかに話題にされているよ」と。 だが、その場所は、総合案内スレッド自体に「では、嘘を嘘と見抜ける貴方、お楽しみ下さい」とあり(いやそのスレッドの表記もあるいは嘘なのかも知れないが・・苦笑)、言わば世間の井戸端会議のようなものだと認識しているので、特に感想はなかった。 まあ、話題になった理由は、出かける前に、私がある意志を持って、由進作「巻菱湖」の駒を、オークションに出品したことにあるのだろう。せめて私自身を直接に知る方たちだけには、本意を伝えておかねばならないのではないか?そう思った。 これまで私は、「駒蒐集家」とか「駒愛好家」、あるいは「駒の研究家」などと、自分を規定したことはない。 ただただ、とある一瞬に、駒に魅せられてしまった単なる駒好きでしかなく、その立場で、自分自身の関心のままにアプローチしてきただけなのだ。それを文章にしてきたのも、所有すること以上に文章にすることが、私にできる方法だったからである。それ以上の意味はない。 6年前、ひとりの駒師と幸運にも出会い、その作品を見守る中で、私自身も学んできた。予期につけ悪しきにつけ、新しい人との出会いもあって、その作業は加速度をもつけて形になってきたのである。それなりに楽しい作業だったと言える。 最近、駒師由進(出石)についてブログで触れないなどと言われるが、その最大の理由は、去年彼の駒が棋界最高峰の名人戦対局駒となったからである。そうなったら、何を選択し、何を友として、あるいは何を目標として、どう生きていくかというような作品世界は、もはや彼自身の選択にしかなく、部外者の入る余地はないと考えているからである。ここまでなのか、あるいはこの先まで可能性を秘めているのか、そんなことは、もはや作り手自身の人生観でしかないのはいうまでもないだろう。これ以上は、余計なお節介でしかないし、ある一人の駒師がどう育っていくのかという書き手としての私自身の裏テーマは、もはや完結しているのかも知れない。 ここ6年の間、私は駒師由進の作品を通して、あるいは根底の土台として、見極めの軸としてきた。 じっと背後から見つめてきた感想からすると、由進流「巻菱湖」は、すでに彼の作風としての書体は完成しているのであ

髭の現在~どこからみても

伸ばし始めて現在40日目。アゴにシェイバーを最後にあてたのは、日本ダービーの日の朝だから、確かである。 でも、どうして私がやると、単なる無精髭のレヴェルを超えないのか?それが哀しい・・・。道化者の悲哀をヒシヒシと実感している。 そもそもは、こんな髭に憧れて始めた「精悍さの追求」だったはずなのに・・・。 例えば、マカロニウェスタンのころのC.イーストウッド。           あるいは、今、朝9時からBSでオンエアされている新座頭市の勝新。     いや、こうじゃなきゃいけないのに、現実は厳しい・・・。 まあ、やはり素材が悪いと、いい作品にはならないということの実証例なんだろうが・・・。 それにしてもである。 お化粧で誤魔化すわけにはいかないし、そんなことはそもそも邪道だろうし、あるいはこのままもっと時が刻まれれば、時代の流れに自ずと刻まれた味が生まれてくるかとも考えたが、まさか将棋駒ではあるまいしと、考え直した。 結局は、生きながらえているということは、現実を背負って歩むしかないということなのだから、耐えて耐え抜いて今をしのいで行くしかないのだろう。どうせ私などは、人為的な淘汰の作業の果てに選ばれて生まれて来た訳ではないのだから、選別される以前の素材の悪さは、最初から合点承知の助なのだよ、諸君。 そうか、どうせ変えられない自分がいるのなら、せめて周りの世界を変えてみたらいいのではないか?環境を変えるということは、少しは取り巻く現実を変えるということにもなるのでは? そうだ、そうなんだと改めて気づき直して、日曜日には1票を投じてみようか。しないより、せめてした方がいいに決まってる。 でもねぇ、髭を見比べて見る度に、それにしてもと心が揺らいでしまうのだが・・・。 いやいや、こんな私だって、それなりに雰囲気のある衣装を着て、少しはそれなりの表情を作り、その上で一流カメラマンに撮影してもらったなら、何とかなるかもと、気を取り直して、もう一度アゴ髭を触って、頷いてみた。 何はともあれ、こんな剽軽とも言える都合のいい明るい思考と、その裏にある道化者の哀しさの同居が、私そのものなのだろう。 そう居直って、日曜日には1票の我儘を

紙一重~成功と失敗の境界点・・急性蕁麻疹の痒みの中で

2年前の正月の急性蕁麻疹騒動の中で、さすがにこんな私でも、いろいろと考えざるを得ませんでした。 反省もして、後悔までもしたということです・・・。 (午年です) <2014 1月 了> 突然襲われた急性蕁麻疹騒動。 その後は何とか小康状態を保っていますが、いつ何時再発するかと、恐怖に慄いています。 すでに右足に脊髄から来る麻痺や痙攣を抱えて、そこに薬で何とかコントロールしているとはいえ、痛風の激痛の怖れを抱いているのに、今またあの狂わんばかりの痒みの恐怖を背負ってしまいました。世の中には、私のように不幸のどん底、恐怖の真っ只中で喘いでいる人間がいるのです。それを思えば、大方の皆さんは幸せに暮らされているのではないでしょうか? まあ、私の場合は、痛風と急性蕁麻疹は、自業自得と言える訳で・・・。 ですから、あのとき(と言っても、たった4日前です)数枚の焼肉を我慢していたら、多分発症を回避できたのではないかと思えるのです。 そうです。運不運の境界点は、紙一重の分かれ道なのだと、学びました。ネチッコイ性格で、転んでもただでは起きませんから。 紙一重の境界点を思えば、世の中は全て紙一重の運不運で成り立っていると言えます。 私はアベノミクス派ではないので、株はしませんが、株の最高値と暴落の間にあるのも紙一重の境界点でしょう。 競馬でも、ハナ差で命運が決まる紙一重の境界点があります。突発事故に遭遇するか否かの運不運も紙一重の分かれ道でしょうし、整形やお化粧をして美しくなるか狸になるかも、ギリギリの境界点があると思われます。 作品を創るアーティストにとっても、その作品世界をギリギリ追求して、結果イナセや粋になるか、はたまた野暮と酷評されてしまうかは、実は時代の流行りと相まって紙一重の境界点があるのです。まあ、作品の場合は受け手が残酷で、誉めるか、酷評するか、無視するかですので、境界点が3つもあるので困るんですが・・・。でも行き着く処、送り手が全部背負わねばならないことだけは確かです。人間は、内なる思いを言葉に置き換えて説明してしまう便利な能力もありますが、説明されなければ解らない作品などは、価値ある作品ともいえませんし・・・。 で、結局、自分の肉体をモルモットにして布団の中で解ったことは、なべてこの世は

急性蕁麻疹発症~2014年正月早々の大騒ぎ

2年前の正月。大変な目にあったことを想い出した。 災難はやはり忘れた頃にやってくるのだ。 それにしても、あの体験を想い出す度に、背中辺りがむず痒くなってくるのはどうしたことなのだろう?   <2014 正月 了> 正月3が日最終日。まだ病院などはお休み中。 大晦日からちょっと気が緩んでいたのだろう。病持ち故に、自分の体に人様以上に配慮して生きなければならない私が背負った重荷を、ふと忘れていた。 午前中、息子と外出。帰りに車の中で相談して、昼は、おせちも飽きたから、炭を起こして焼肉でもやるかということになって、材料を買って帰宅。すぐに準備をして、私が仕込みを担当し、息子が七輪で炭を起こした。太陽が当たっていれば、冬でも昼なら外で大丈夫。デッキチェアを向い合せに並べて、真ん中に網を置いた七輪。小1時間で準備完了。肉をのせると、ジュッという音を上げて煙が立ち込め始めた。 そう言えば、ここ数年、私は焼肉屋などに行ってない。食事も肉は出来るだけ食べず、魚や豆腐を主体にしてきた。脊髄神経から来る右脚の異常に加えて、数年前のある日から痛風を発症してしまい、今でも尿酸値は体質からか高いままで、オリーブオイルやごま油以外の油は、出来るだけ避けるようにしていた。特に外食や弁当に使われる油や、肉そのものに含まれる余分な油は、摂ればすぐに右足親指辺りがモアモアと反応を始めるのだ。これは激痛発症の危険シグナルである。だから誘いがあっても何とか和食で済ましていた。 でも今日は、何となくタレに染まった焼肉で、温かい白いご飯をかきこんでみたくなってしまったのである。 炭火の遠赤外線効果で焼き上がったカルビ肉やレバーの塊は、久々に食べたが、やはり旨かった。これでもう一つ気が緩んだ。最初は2欠片で止めとこうかなどと思っていたが、いつの間にか酒の効果もあって、3欠片、4欠片・・こうなったら、もう理性の枠は何処かへ飛んで行って、ご飯も御代わりまでしてしまった。 途中から愛犬も座って一緒に焼肉グルメを楽しんだ。 後片付けと火の始末を息子に頼んで、お酒が入った私はベッドに横になり、そのまま束の間の昼寝。 騒ぎはそれから1時間半後に起こった。 電気毛布で温まった体が、突然無性に痒くなり、それは全身に広がった。背中、両足、首から頭・・・。 痒くて痒くて、布団の

オルフェーヴル 圧倒的なラストラン~2013有馬記念 中山2500m

3年前の有馬記念。あのオルフェーブルのラストレースだった。 結果的に「配合の妙」から誕生した世界に通用したサラブレッドは、圧勝の強さを私たちに見せつけて、故郷に帰って行ったのである。 鮮烈さをいつも漂わせていた。それが私たちの眼線をひきつけて止まなかった・・・。 (phot by k.Ishiyama)                                  <2013 12月 了> 誰にもつべこべ言わせねえ。 オイラの力を信じられる奴だけに、そんなお前さんたちだけに、オイラはサンタになって最後のご奉公ってのをお見せしようじゃねえか。 まあ、見ていて御覧よ。ぶっちぎってやっからよ。 エッ?最終追い切りの手応えが怪しかったって?いいかい、お前さん。オイラ達のような世界のトップはよぉ、追い切り程度じゃ本気を出さねえんだい。追い切りで動けば、勲章になるのかい?賞金貰えるのかい?そこいらの若僧じゃあるまいし、ちょっと甘いんじゃないの、世界チャンプに向かって、そんなこと言うのは。 オイラ、本番じゃぁ、きちんと世界の脚ってのを御披露いたしますってんだい。 それによぉ、オイラここ一番の世界NO.1決定戦じゃぁ、ここだけの話、トレブちゃんとか、ジェンティルドンナちゃんとか、名前忘れたけどあのペリエが乗ったおばさんとか、女馬にしか負けちゃあいねえんだ。 オイラ、悪童だけどよう、根は優しいから女馬だとどうも本気になれなくてな。今回は、見渡したところ女馬はいねえし、そうなりゃオイラの独壇場よ。 これが世界の力だってえのを、黙って楽しんだらいいんだよ。判ったかい、お前さんたちよぉ・・・。 そのオルフェーヴルの言葉通りだった。 第3コーナーから一まくり。第4コーナーから先頭に躍り出て、あとは、あれよあれよの一人旅。 8馬身という大差の決着。ついて行く人馬の影もなく、世界の頂点とはこういう次元の力だったと、場内を埋め尽くした11万6千の大観衆は圧倒的に納得させられた。 生半可な理論理屈は、頂点に立つ本物のサラブレッドの破壊力の前では、惨めなほど無力だと8馬身差のパフォーマンスで言い残して、オルフェーヴルは次代の競走馬の父となるために北へと旅立って行った。 そして競馬の2013年は終わったのである

勝負の呼吸~息を飲んで意志を確かめること

ハッとして息を飲み込む瞬間があります。 感動のとき、絶望の悲嘆に襲われたとき、これから何かを成し遂げるぞと身構えたとき・・・など。 人の意志は、呼吸に表れます。3年前の秋、そんなことを感じていました・・・・。        <2013 10月 了> 勝負に挑む、その瞬間を迎える直前の人間の表情に、私は魅かれます。 勝負が始まってからの表情よりも、始まる寸前の迷い、惑い、悶え、そして闘う決意をする心の動きに、ドラマを見てとろうとするからです。 この3・4日、そんな風情を楽しみました。 秋天皇賞のレース前の、何かに耐えているような騎手の表情とか、竜王戦第2局の、迷いを最初から意図的に打ち消して決意に満ちていた名人の眼線(先手番で快勝した第1局から、後手番で相手の手を選んで敢えて受けて立ったのは、完膚なきまでに敵を駆逐する強い意志の表れと感じました)とか、今日ワールドシリーズを制覇したレッドソックスクローザーの上原の表情とかです。 勝負の決着の後の頬緩ませた歓喜の表情より、これから勝負に向かう緊張感溢れ、同時に何かに追い詰められたような人の表情に、魅かれるのです。 勝負時運とか、有備無憂とか、捲土重来とか、四面楚歌とか、窮鼠噛猫とか、切肉断骨とか、勝敗を競うことへの形容の言葉はいろいろとありますが、とにもかくにも私自身は、勝負の当事者と共に<息を詰めて>、その瞬間を迎えようとするときが、最高なのです。 太鼓を叩いたりラッパを吹いたりして無駄に発散することなく、ひたすら息を詰めて、勝負を見守ろうとする行為には、神々の到来を待つ厳粛さに満ちていると信じます。神々の到来とは、決して宗教や信仰の教えなどではなく、それは私自身の、人知を超えた大宇宙への畏れだと思っています・・・。

秩父夜祭の夜に~徒然なるメモ書きとして

秩父夜祭は、例年12月2日3日に行われる。 私の暮らす山中は、市内ではないし、そもそも余所者なので、地元の大祭とはいえ祭りには部外者なのだ。だからとにかく師走の初めに風邪をひかないように、そのことだけを心掛けているばかりで、祭りの地熱に浮かれることはなく過ごしている。 冷めた観客だが、神様は心広く許容してくれている・・・。これは3年前の祭りの日に書き記したメモだ。                        <2013 12月 了> 今宵は、秩父夜祭。 先程からずっと花火の音が、ズドーンズドーンと真っ暗な夜の山に木霊している。 家の和室から、火の花の大輪を眺めることができるのだが、私は机の前にいて、夜空が震える音をBGMに駒磨きなどに戯れている。 祭りの輪に入るために街に降りて行くのは、この師走の時期は風邪を引くのが嫌で、それに例年必ず宵宮か大祭のいずれかの日は雨模様に見舞われることが多く寒いので、残念ながらあまりないのだ。正直に言えば、一度華やかな山車の後について回ったきりである。そもそも取材などで出かけていなかったことも多かったし・・。今年は、珍しく2日間ともいい天気だった。 町は、今宵まつり一色なのだろうが、どうも私自身は祭りを言祝ぐ気分ではないようだ。 大体、駒を磨こうとするときは、私の場合、内なる心のバランスを何とか保とうと思って、敢えて集中してみることが多い。世の中のことは、成るようにしかならぬと判っているが、ままならぬ憂さを何かで晴らしておかねばおかしくなるのも人の心というものである。駒を磨いていると、一瞬憂さを忘れられる。忘れられることが、精神衛生上とてもいいのだ。 と言っても、とりわけ人生の大問題に直面している訳ではない。もし私が女性なら、そんな気分をこう言うだろう。それはねえ、不定期に訪れる言わば「上がりかけた生理痛」のようなものですと。(怒られるかなあ・・?不適切な言い回しと) 念のため、こんな例も挙げておこう。立ちそうで役立たずのオヤジのお○○○○のような気分とも言える。 で、駒を磨きながら、過ぎてきたあのときの分かれ道を想い出し、右折が正解だったか左折のままで良かったのかとか、熱意や意気込みは過剰になると野暮になり、成功体験は人を傲慢過激にするがある瞬間には破局点を必ず迎えるものだとか

2014年度流行語大賞最有力候補「それは秘密です」~特定秘密保護法成立

   3年前の12月、特定秘密保護法が成立した。 そのとき私は、こんなメモを残したが、2年後の夏には安保関連法案が充分な論理的説明もないままに集団的自衛権の名の下に戦争(ができる)法案として改正され、3年経った今、9条否定や人権私権を制限した国家主義を目論む憲法改正を裏テーマにして、参議院選挙を迎えている。 戦後71年目を迎えた今、私たちは改めて「平和の価値」を考える時を迎えている。 参考までに、異なる「秘密の花園」を載せておこう。さて、あなたのイメージする「秘密の花園」はどちらだろうか?                            <2013 12月 了> 昨夜、多分来年の流行語大賞最優秀候補が決まった。 「それは秘密です」 直近の選挙で公約にも、議論にもなかった特定秘密保護法が、民主主義的議論を無視して強権手法によって立法府で成立してしまったのだ。 この法案のいかがわしさは、中身と運用の稀にみる曖昧さである。 しかも場当たりに秘密のチェック機関として衆院通過後も出されてきたのは、結局は内閣が最終的にチェックするという訳の判らぬ修正提案だった。そこには第3者には一切関与させないという意志が満ち満ちていた。不思議だった。 行政の秘密指定を行政そのもののトップがなすというのでは、秘密はすぐに際限なく拡大する。 大義名分を言葉で与えてしまえば、あらゆることがやがて拡大解釈されて秘密になるのは自明であろう。過去の歴史が証明しているではないか。 これまでにも行政は、法案の曖昧さを突くように拡大解を続けてきた。法案に使用される役人用語そのものが、巧みに拡大解釈を可能にするように仕立てられているものだということは、事実である。 だから行政府から出される法案は、立法府の議論によって拡大解釈ができる曖昧さを許さぬ物でなければならないことは、独裁国家ではない民主主義国家では最低限のルールの筈であるのだが、昨夜、立法府は自らの付託された守らねばならぬ機能を捨て、行政府の前に屈服した。もっとも司法でさえ、例えば1票の格差は違憲あるいは違憲状態と裁きながら再選挙を命ずることもないのだから、もともとこの国の民主主義レヴェルはその程度のものかも知れないのだが・・・。 この特定秘密保護法の怖さは