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8月, 2016の投稿を表示しています

夏の終わりに~印象的だった2人の男たち その①

この夏、梅雨明けも遅く、終わってみれば7月下旬から10日ほどの暑さだけで、私の住む山では、後半も台風の影響で雨模様が続いた。シトシトと降る雨の中で、GCの中継する良馬場の競馬を眺めるのは、何となく違和感を抱かざるを得なかった。 台風一過の今朝は、さわやかな青い空の下、最後の夏の日差しが戻っている。 この夏、オリンピックもありメダル獲得ラッシュにメディアは沸いたが、後半戦になると思わず「行けーッ!!」と叫んでしまったのは、陸上男子の400mリレーの決勝ぐらいで、桐生からバトンが渡ったケンブリッジ飛鳥がラスト30㎜ほどからウサイン・ボルトに突き放されると、2着ではあったが、バトンタッチの技が圧倒的な才能の前に屈してしまった感じで、何となく意気消沈の度合いも強まってしまったものである。 そんな中、この夏、別の2人の男たちの姿に、中身は大きく違うが、心を打たれたのは確かである。 まずは香港の騎手モレイラ。短期免許を得て、先週までの3週間、札幌競馬場に参戦した。先週には第2回ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)が催されたこともあるが、何よりも昨年の衝撃が生々しく記憶されているから、モレイラ登場という響きだけで、私の心は高まって止まなかったのだ。 最初の週(8/13・14)のエルムSでは、信じたモレイラからリッカルドとクリノスターオーの2点に流して、ほぼ万馬券の縦目を食らって悔しい思いをしたが、やはりモレイラは凄かった。 参戦3週目となった先週、土曜の最終レースポプラ特別から、日曜9Rまで、自らの騎乗機会7連勝。‘05年9月18日から24日にかけて武豊が達成した記録に並んでしまったのである。 その後10R は馬場入り後に騎乗馬マジックシャトルの右肩跛行が判明し出走除外、メインのキーンランドCはシュウジで2着。ここで新記録達成は途絶えたが、WASJ4戦目となった最終12Rでは人気薄のハツガツオを3着に導いて気を吐いた。 ダートから芝、短距離から長距離と、その手腕はオールマイティに冴え渡り、「騎手が勝負するというのはこういうことだ」と観る者に教えてくれるような騎乗を続けたのである。 勿論、昨年の衝撃的な活躍もあって、各陣営が期待馬を用意していたこともあったろう。しかしそれとても、真の実力が評価されてのことだったのだ。R.ムーアとこのモレ

金魚を飼おうか②

   ランチュウとオランダ獅子頭を飼い始めて1か月が過ぎた。 ここ数年の猛暑の夏とは様相が違って、35℃を超えるような暑さは遅かった梅雨明けから10日ほどしかなかったので、昼の直射日光を簾で避けて、あとは水の管理に気をつけるだけだったが、それでも途中でランチュウ1匹が体調不良で死に、もう一匹が口まわりの皮膚に異常をきたしたので、2%ほどの塩水に移して1日も経つと元通り元気になってくれた。 予想していたことだが、赤ん坊を育てるように、なかなか気を使わせてくれる。 真っ黒の稚魚だったオランダ獅子頭も、今では色がつき始めて、文字通り金魚に変身しつつある。 こうなってくると、飼う面白みも増すというものだ。 この先、山の寒い冬を迎えたときに、さてどうするかという問題は抱えているが、そのときはそのときと楽観している。エサ断ちして2ヶ月ほど冬眠状態にさせる手段もあるようだし・・・。 黒メダカや沼エビとは違って手はかかるが、優雅に泳ぐ姿やエサに寄ってくる愛らしさを楽しむと、愛着すら生まれてくる。 ハラハラドキドキという刺激はないが、ゆったりとした温い時間をピュアな心で過ごしている夏である。それもまたいいのだ。                      

天国と地獄・その境界域~ある女王の告白

2年前、ソチ冬季五輪を見た私は、思わずこんなことを書き記していた・・・。そうさせたものの正体こそ、女王の魔力だったのかも知れない・・・。 女王は戸惑いを隠せなかった。 あれはいったい誰だったのだろう・・・? 私でありながら、でも私はそこにいなかったような感覚。何かをしようとしている自分がいるのに、何もできずに、ただどこかに流されてしまっている失意の自分を、呆然と眺めてしまっているような、そんな気分。 あのとき私は、女王などではなかった。弱々しい素っ裸の私でしかなかった・・・。 ショートプログラム。最終最後まで演技を待たされたことの微妙な影響だったのか?それとも待たされる間に知らず知らずのうちに、緊張や重圧のエアポケットに入り込んでしまったのか・・・? 15歳リプ二ツカヤの直前の舞によって引き起こされた大歓声が、女王である私を追い詰めた訳ではない。そんな経験はスケーターになってこれまでにも数多くしているし、克服もしてきた。だからこそ私は女王だったのだ。 音楽が止み、最後のポーズを決めたとき、何故?何、これ?としか思えなかった。見守って下さる方たちも同じ気持ちだったろう。結果は無残なものだった・・・。 女王は、女王であることへの期待を、この小さな背中に背負って応えてこそ女王なのだから。そうであることが、私の使命なのだから。でも、あのとき私はあそこにはいなかった。そんな気がする。 頂点に立つことを逃した銀メダルのバンクーバーからの4年間。私、浅田真央は、女王であり続けるために敢えて進化をテーマに挑んできた。まだ誰にもできないトリプルアクセルを含めて6種類すべての3回転ジャンプを決め打ち、あくまでも女王らしく華麗に優雅に氷上を舞おうと。そのために私であることよりも、女王であり続けることに、私の全てを捧げようとしてきた。それでも、いやそれなのに、私はあのときあそこにいなかった・・・。 追い詰められた次に向かうための24時間が過ぎて行く。どうしたらいいのか?どうすればいいのか?解らない・・・。 頭に浮かぶのは、女王になるまでの幼く拙い私自身だった。何度も氷の上に倒れて、また立ち上がる私の姿だった。私が笑顔で演技を終えると、見守って下さる方たちも一緒になって温かい笑顔になった。私が沈んだ気持ちになると、周りの方たちの心も沈んだ。その傍には、

駒作りの心

そう言えば、2年前の春、将棋駒を通してこんなことを考えていた。 ここしばらくの間に、私は、どんどんとマイナーなジャンルににじり寄っていたようだ。 でも、マイナーな世界だからこそ解ることもある。と、そう信じて自己正当化をしていたのかも知れない。マイナーな世界の弱点は、結局マイナーな予算しか動かぬことである。本物の人材は、マイナーな予算の世界には集っては来ないのも、世の習いである・・・・。嘆かわしいことではあるのだが・・・・。 ご連絡ありがとうございました。 今日のメールで、熟練のホストのように、世にある駒子さんたちをじっくりと愛撫してやればいいのだと理解しました。 そして、そこには秘伝のテクニックが確かにあるのだということも知りました。先っちょを短くしたり、縦に思いや意識を定めたり、時計の反対周りでくすぐって見たり、弁慶のように100人切りですか・・・。 ああ。何と世の中は広く、凄いものなのでしょう・・・。そうしてかつて鍛えた龍山などは、やはりいい男ですもんねぇ。女房には逃げられましたけど・・・。 こんなメールをしばらく前に送ったことがある。 駒を作るということが、実は、男が女に(或いは女が男に)施す愛撫と同じなのだと気づいたからだった。 彫埋状態に仕上がった駒子さんたちに、ドレスアップとメイクアップを施して、自分にあった筆先の長さで、じっくりとしかし大胆に漆の愛撫を加えて行く。そそり立つ縦線に気を払い、クルッと払う筆の向きにも気配りし、その愛撫はエクスタシーの頂点へと向かう。 そしてようやく一枚の盛上げが出来上がっていく。後戯は漆の乾きに施される。縮ませず滲ませずと・・・。 愛撫の技法は、それこそ細やかに絶頂に導くものでなくてはいけない。その上で、経験を積み上げて、技を巧みにしかし自然に高めることも要求される。 おお、ならばそれは、この世の何処かにいるという、あの伝説の棹師の世界ではないのか? そうなのだ。おそらく駒師たちは、それぞれに理想の女(或いは男)を手先の技法によって「いかせる」ようにして駒を作っているのだ。それは同時に、数をもこなすことさえ要求される。最終的には、かの吉原の花魁たちを総揚げして、皆をいかせ切った奴が、淫靡なる世界の深みや重さの表裏全てを知り抜いて勝つのだ。 もし

エアグルーブと出会った日~23年前の記念すべき想い出

2016 7月、アドマイヤグルーブ産駒の2冠馬ドゥラメンテが脚部不安で引退種牡馬入りしたとき、まず想い出したのは、祖母エアグルーブのことだった。伊藤雄二厩舎所属だったこの馬の存在が、その後およそ10年もの長きに渡って続いた「調教師伊藤雄二シリーズ」誕生の伏線ともなったのだと、今なら断言できる。私は、エアグルーブとは誕生10日目に出会っていた。それも偉大なホースマンたちと一緒にである・・・。                                                                          <2014 1月 了> 必要があって、昨年末から牝馬エアグルーブのことを想い出していた。 有馬記念の日、カメラマン石山勝敏とコーヒーを飲みながら、かつての取材の日々を振り返っていると、ある出版社の編集者からキチンと返却されていれば、あのときの写真があるとのことで、それを調べて欲しいと頼んでおいたのだ。 だが、残っていたのはこんな写真だった。                                (phot by K.Ishiyama) 写真担当者からいいショットは戻されていなかったのである。残念だった。今のデジタル写真なら保存は簡単にできるのだが、まだカメラマンがフィルムで勝負していた頃は、いいショットの写真は編集部にいったん渡して、その中からデザイナーがカメラマンの意向を踏まえながらピックアップするのが習いだった。 ポジを預かった担当者がいい加減だと、貴重なフィルムもカメラマンに戻されず、どこやらに消えてしまうことも多かった。今となっては、まことに惜しまれる紛失である。 写っているのは、繁殖馬となっていたオークス馬ダイナカール。左の厩務員さんの陰にいるのが、誕生10日目の牝馬。後にエアグルーブと名付けられた。そう、あのオークス、秋天皇賞を制して、JCでも2年連続して2着を確保した名牝エアグルーブである。(不運にも昨2013年4月23日、キングカメハメハの牡馬を出産直後に失血により逝ってしまったのだが・・)。 しかしこの写真は、まだ小さかったエアグルーブが、厩務員さんの陰になっていて使えない。残念無念の極みとなった。 母仔が並んだ写真はあったはずなのに、どこやらに消えてしまってい

ハロー雪景色②~閉じ込められて4日目

雪に閉じ込められると、心配事は多い。食料は足りるか?灯油の残量は大丈夫か?(個人的には、ウィスキーとタバコが特に心配だが、こんなときにはそれを言葉にすると家族のもめごとになりかねない・・・)ようやく状況が落ち着いたのは1週間後だった。 雪が降る あなたは来ない 雪が降る 重い心に・・・ という唄がその昔にあったが・・・。 14日から降り始めた雪は、やはり大変な事態を引き起こしているらしい。それもそうだ。一夜で1m以上の降雪量なんて、関東地方では未知未踏の天候異変だったのだから。 木曜の午後から、私も家から一歩も出られないので、正確に何が起こっているのかは定かではないが、聞くところによれば、近隣で雪崩が起きて国道が通行止めになったり、除雪は少しも間に合っていなかったり、学校は臨時休校となったり、飯能からの西武線も、熊谷に向かう秩父鉄道も、周辺を繋ぐバス路線も全てが運航停止となっている。 物資輸送も途切れ、コンビニにも物資は届かず、駐車場の除雪ができないいくつかの大型スーパーは閉店状態らしい。 秩父市長は、県を通して自衛隊の災害救助派遣を要請したとか・・・。 一夜1mの雪が、町の機能を失わせてしまった。 すでに4日が経ち、家から一歩も出られぬ私も、あればつい消費量が増え過ぎると買い置きしてはいないタバコとウィスキーが昨夜で切れ、つれ合いの話では、このまま家から出られなければ、灯油の残量も心配だという。 いつもなら雪が止んで、翌日の午後までには入る除雪が、今回は何も動かないのだ。国道に重機をとられて動けないのかも知れない。町役場に今朝から近隣の何人もが連絡したが、担当者は善意なのか「今日行く予定となってます」と答える。でも期待だけを持たせて、結局は来られないのだ。田舎役人の罪作りな応答対応なのだが、善意の本人たちは、その非に少しも気がついてはいない。行くと言って行けなかったことより、ともかく行くと言った思いが「善意」と錯覚している。期待するのがアホくさい。 何とか1m以上積もった門辺りの雪を掻いたが、道の除雪が入らなければ、それ以上はどうしようもないのである。この辺りには、除雪が入らず一歩も家から出られない孤立所帯が、私の思いつくだけで20やそこらあるのではないか。 世の中、「這ってでも」なんて言葉があるが、踏み固められてい

ハロー雪景色①~記録的な大雪 20142月15日

暑さが続くときは、こんな話題がいいだろう。 2年前の観測史上記録的な大雪のことを想い出した。このときの大変な後始末の事態は、今想い起しても寒気がしてくる・・・。 ようやく空が明るくなって、雪の止んだ気配があった。 で、玄関ドアを開けて外に出ようとすると、とんでもなかった。                   先週8日の雪は、膝上20㎝だったが、今回は1mを楽に超えている。 庭に面した窓から外を見ると、こんな具合だ。 一面の雪。門塀も門も埋まり、奥のタワーのような塊が雪見大福化した車である。 途方にくれるほど、途方もない雪だ。絶望とは、こんなときに感じる気分だろうか? スカイツリーのてっぺんと同じ高さほどの、標高550mに住むとは言え、さすがにここまでの雪は体験したことがなかった。本物の雪国生活なら、備えも対処法も学んでいるのだろうが、年に数回の雪だから、知識もないし道具もない。 せめて門まで道をつけねばとは思うが、少しも体が動かない今日の昼である。 でも、もうすぐ春が来るのは間違いないのだ・・・。ああ・・・。

2016 夏8月 リオ五輪

ここ数日、暑さにかまけて、机の上に書きかけの原稿を広げたまま(久し振りにモンブランの万年筆で書き始めてしまったのだ)、ついついリオ五輪の中継をかけっ放しにしている。 時差12時間だと、ちょうど仕事をしたい時間にBGM代わりになってしまうから、まあ心が弱い(?)私には、思わず誘い込まれる「誘惑の罠」となってしまうのだ。 でも、でも・・・。「勝負」という視点で眺めていると、これがまたたまらなく面白いからどうしようもないことになる。 ほんの一瞬の心の隙間に生まれる落とし穴にハマる敗退もあれば、過度の自信が巻き起こすポカもある。無欲が新しい力を生み出すこともあるし、ベテランの熟した経験がさすがと思わせることもある。 だから面白い。 特に、私にとって印象的だったのは、柔道73Kg級の大野将平と日本体操陣の団体戦だった。 大野将平は若さ特有の太々しさを全身からみなぎらせていた。これまでにも発言やその行為には、いろいろあったようだが、それ以上に柔道のアスリートとしての強さは際立っていた。1本勝ちを託せる男だった。結果からすれば、確かにその通りだ。  しかし大野将平の両耳を見ると、その大きく変形した厚みに、彼の裏側にある本当の姿が伺い知れてくることになる。日常のトレーニングの真剣度合いが雄弁に語られている。徹底したトレーニングがあってこそ、柔道家の耳はこのように変形するのだ。道着や畳に擦れて鍛え上げられた結果だろう。そこまでやり遂げて、なお資質に恵まれた幸運が、大野将平をゴールドメダリストに押し上げたと、私は見た。 男子体操陣の飛び抜けた実力も確かなものだった。他国の多くの選手が難度の高くなった現在の技をやってのけることが精いっぱいだったのに対して、選ばれた日本男子体操陣は、そこに美しさをも追及する余裕に満ちていた。美しさというのは、基礎的なルーティンが完璧となったある到達段階からしか意識化されないものだと、改めて日本男子体操のすばらしさを目の当たりにして感じた次第である。世の中には、中途半端な段階から美を語り始めてしまうことも多いが、それは用をなさないことが、体操を通して教えられたのである。 リオ五輪は、21日まで続く。こんな見方をして楽しんでいると、たぶんこのまま何も手つかずでハマってしまうのではないかと、ちょっと心配でもあるのだが・・・。 でもそれも4年に一度のこ

真夏の涼を求めて~金魚を飼おうか

遅かった梅雨も明けて、これからが毎日30数度の気温が続く夏本番。 そこで、ここ数年続いている暑さをしのいで涼を求めようと、久し振りに金魚を飼おうと決めた。 裏の池には和金がいたのだが、去年余りの数のオタマジャクシの誕生で池全体が酸欠状態に見舞われて、わずか3匹を救出しただけで、この雌1匹雄2匹の合計3匹は生き延びたが、またオタマジャクシの季節となったために、池から出して大きめのたらい桶の水槽に入れておいた。2匹の雄が1匹の雌を追いかける仕草をするようになったから、これでまた数も復活すると安心していたある夜、うし三つ時に、しばらく飼い犬が吠え止まなかったのだが、物音もせず、何も異常な気配もしないのでそのまま確かめずにいた。 ところが朝明るくなって表に出ると、2匹の和金の姿は見えず、隣のメダカの水槽も荒らされていて、その前に猿の毛玉が残っていた。 どうやら、山に餌が少なく空腹に耐えかねた猿が現れて、金魚やメダカを襲ったらしい。よくもまあ、メダカや金魚まで腹に詰め込もうとしたものだ。金魚もメダカも辺りに死骸すらなかったので、遊びで悪戯したのではないだろう。1匹だけ生き残った運の良い和金は、もう怯えるばかりで、餌当番である私でさえ水槽を覗く気配を感じると、恐怖のトラウマに見舞われたように泳いで逃げようとするようになってしまった。余程怖かったのだろう。 そこで考えた。梅雨明けの前に、少しは人に懐っこい金魚でも久し振りに飼ってみようかと。 手に入れたのは、当歳のランチュウ5匹と、まだ色も変わっていない生まれたてのオランダ獅子頭。 それに水族館でも使われているという高品質のペレットタイプの餌。 その昔はランチュウなど高価だったが、今は丸みのある背中に、これからかなり育ってくるだろう肉瘤をしたランチュウでも、1匹1000円でおつりがくるほどで、さほどでもない。オランダ獅子頭の稚魚など200円もしないのだ。それも繁殖者から直接購入できるようになったからだろう。 久し振りに飼い始めて、改めて金魚の人懐っこさを確かめた。人の手を借りないと生きてはいけない種類だから、より野生に近い和金とは違うのかも知れない。 大きめのたらい桶の水槽を眺めていると、水の側にいるからか、何となく