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12月, 2016の投稿を表示しています

2016有馬記念~脱帽 その強さ精神力にあり

少しばかりのこの身の寒気を何とか我慢して、朝8時24分のレッドアローに乗った。池袋~大手町~西船橋。駅前から競馬場への運行バスを使うと、11時過ぎには招待ルームに到着する。いつも感じる関東1都2県にまたがる小さな旅。体調が悪いとシンドイ距離だ。 それでも行くのは、G1中毒症状なのだろう。それが私のクリスマス。でも、ここ2年続いていた私だけのサンタクロースは、今年は現れなかった・・・。 私のブログを見てくれている何人かの人たちから声がかかる。 「風邪はどうなの?」 「熱はないんだけど、だるくてだるくて・・」と、トロッとした眼で答えると、皆さん納得の表情。 午後からは日差しも出て来たので、一人静かにゴンドラの椅子に座ってコースを眺めていた。それだけではツマラナイので、9RのG2ホープフルSまでは、1000円札一枚取り出して6Rから8Rまで単勝10点遊びやら、枠連遊びで時間を過ごした。エネルギーの消耗を最小限にしたかったのだ。でも最初に取り出した1枚の1000円札が5枚ほどに増えてしまって苦笑い。 9Rは、ホープフルS。G2芝2000m。軸は藤沢和雄厩舎3頭目の刺客のルメール・レイデオロ。勝てば師走の2歳重賞は藤沢厩舎の完全制覇。まるで有馬記念の騎乗の予行演習をするかのように、あっさりと勝ち上がった。リーディングは戸崎圭太に僅差で譲ったとしても、2016年のルメールは、デムーロと共に印象度では圧倒している。さすがに最高獲得賞金騎手ではある。 そして本番。武豊キタサンブラックの現在の力は理解している。逃げ先行する馬の出走枠1枠1番が、どれだけ有利かも解っていた。しかし私は、事前に決めていたように今日は買わなかった。 3コーナーから4コーナーを抜け出すまでの騎手のテクニックと、直線坂を上りきるまでの激しい闘いを堪能しようと考えたからだった。 だから、ひとりゴンドラ席で、 「今日は大地の鼓動(サウンド)を聞きながら、宝石(ダイヤ・ルビー)や金(ゴールド)を探す旅に来たのだ」 とか呟いて、満足していた。 「金とダイヤをこの両手に」とも口にした。 そうでなければ、気迫のみなぎった直線の攻防が見られない。4コーナーを廻った直後に、武豊キタサンブラックに吉田隼人ゴールドアクターが並び、そこにデムーロ・サウンドオブアースとルメール・サトノダイヤモンドが押し寄せて、もしこの4頭が一瞬

まだ風邪が・・・朝日杯~阪神芝1600m

先週日曜からひいた風邪の症状がまだ癒えずに、ズルズルと1週間。今日は治る、今日こそは治ると粘って医者にも行かずにいるうちに、時間だけがあっという間に過ぎていった感じで迎えた朝日杯。 レースを考える思考能力もなく、ただただ見守るのみだった。身体の芯に力が入らず、フラフラ状態が続いてしまっていた。 それでも度し難く録画しておいたGCの最終追切を見て、サトノアレスとミスエルテの気配の良さは確かめたが、そこから先は頭が朦朧として考えられなかった。 でも、いくつか印象的だったことがある。 サトノアレスは選んで応援したが、ここしばらくG1に絡んではいなかった騎手四位洋文が、持ち前のふてぶてしい度胸を朝日杯でも臆せず発揮してくれるだろうか?勿論、ダービー2勝を想い出すまでもなく、もともと腕のあるジョッキーなのはこれまでの取材体験からしても理解はしていたが、現状では外国人騎手や地方出身のハングリーさに溢れた騎手の後塵を浴びているもどかしさは、少しばかり心配の種だった。 ミスエルテの上り33秒台の末脚は如何にも魅力的だが、フランケル産駒の2週連続制覇の可能性を思うと、2匹目のドジョウはそんなに簡単ではないのではないかとも思えた。世には出来過ぎた話は疑ってかかる方がいい場合が多い。 何故ルメールは、府中1400mの京王杯を鮮やかに勝ったモンドキャンノを捨て、ダンビュライトに乗ってくるのか?府中の1400mで通用したなら、阪神ならマイルでも大丈夫のはずなのに、敢えて騎乗馬を替えた理由が裏にあるのか?(そうした素朴な疑問に答えてくれる競馬マスコミはほとんどない) 1勝馬クリアザトラックに乗るデムーロは、自信あっての騎乗依頼なのか? こんなことを考えていると、頭がさらにフラフラして、まだ横になりながら決戦の時を迎えたのである。 四位洋文は少しも腐ってはいなかった。いかにも四位洋文らしい騎乗で、捲り上げるように差してきた。勝ちタイムは1分35秒4と平凡だったが、それ以上にサトノアレスの将来性を見せつける勝利だったと言えよう。 私が風邪を病んで苦しんでいる間に、何と藤沢和雄厩舎が現状での2歳牝馬・牡馬のチャンプ決定戦となるG1を連覇したのである。 2着はルメールが捨ててバルザローナに乗り替わったモンドキャンノだった。順調なら来春NH

囲碁と将棋

そう言えば、2年前の9月には、こんな夜を過ごしていた。                  (2014 9月 了) 将棋は、路地裏の縁台将棋に見られるような庶民文化。 囲碁は、教養人の嗜み。 などと、言われることがあるが、私自身は今では、盤上で木に触れるか、石に触れるかの差だと思えてならない。 石には石の魅力もあるが、しっとりとした木や画き込められた黒い漆の肌触り(彫り駒なら印刀の彫り跡となる)に、最近はより魅かれている。いや、嵌まっていると言った方が正しいだろう。 故藤沢秀行や、全盛期の武宮正樹らの盤上に置かれた石の格調の高さや意識された様式美に心弾ませていたが、今はコミも6目半に増え、日中韓の棋士が集い合っていることもあって、囲碁自体が何となく世知辛くなってしまった印象も影響しているかも知れない。序盤から終盤まで石がぶつかり合うような、言わばえげつない勝負は、どうにも好きになれないのだ。 でも将棋だと、それが逆にハラハラドキドキ感を呼び込んで面白く感じてしまうのは不思議である。まるで勝負の躍動感が、素晴らしい駒の躍動感と一体となって発散されてくるような、そんな気分になってしまうのだ。 銘駒の魅力は、そんな躍動感にもある。だから今夜もまた、届いた将棋駒や駒木地の写真を思わず眺めてしまった。                   

Oh!! タニシの交尾~自然の躍動感

2年前の5月下旬、こんな光景を眺めました。 (2014 5月 了) ふとメダカの甕を覗くと、何とタニシが愛の交歓の真っ最中。何とも艶かしく絡んでいました。ねっとりと絡まり合って、羨ましい程激しくです。やはり元気でなけりゃ、自然の中では生き抜いていけないなと妙に感心しました。 と、隣の池を見やると、去年は8月に咲いた蓮の花が、これも元気にまた花の蕾を広げています。 自然の中の命の躍動感。 それにしても、花って凄いと思います。エッ?何故って?だって、雄しべと雌しべを考えると、花は純粋に性器なんですよね。自分の性器を堂々と晒して、ミツバチや蝶を誘い込んで、それでも綺麗なんて言われる存在なんですから。 これには、どんな素晴らしいAV嬢も、ストリップ小屋の踊り子もかないませんもの。 ね、そうは思いませんか?

友人・知人・同志・仲良し・・・人と人の結びつき

(2014 5月 了) そう言えば、2年前にこんなことも考えていた。 友人・知人など、人と人を結びつける言葉がある。 何かの機会に一度知り合えば、すぐに友人としてしまう場合もあるが、友人と知人の間にある境目には、それを隔てる大きな河があると、そう思って生きている。 では、隔てるものは何かと考えると、それは相手のことを考えて接する思いやりの心なのではないだろうか。 そんな相手を思いやる心があれば、例え一瞬は憎まれてしまうことがあろうとも、相手のためを思って言うべきこと伝えるべきことは、きちんと伝える態度が生まれる。(勿論、それを発するパラダイム(基軸)がグラグラではどうしようもないのだが・・)言うに値する存在こそが、私は友人であると考えるのだ。遠慮なく言えるということは、逆の意味では、遠慮なく私の足りないことを言ってもらえることにもなる。だから誰でも友人という訳にはならない。その意味では、友人は少ないし、親友など人生に2・3人もいれば実に幸福なことになる。 例え立場が違っても、求める理念が同じなら、それは友人を超えた同志となるのかも知れない。 知人なら、敢えて憎まれ口を叩くこともないし、恙なく上手くやって、微妙なことは何も言わないでおけば、長い時間知人でいられる。会えば話の間にそれなりの情報は吸収できるかも知れないが、それ以上に関係が発展することはないだろう。人と人がぶつかり合うことを避けた関係だからだ。ぶつかり合う摩擦熱を避けて、分別ある大人の関係を続ける間柄が知人ということなのだろう。知人が友人に昇格するには、たぶん相性が大事となる筈だ。 知人にもならない関係もある。それは、何も言わないのではなく、何も言えない関係だ。人は、ある種の虚勢や都合のために、知っておきたい相手もある。この場合は、だいたいが相手が自分よりメジャーな存在で、自分自身がその相手を知っていることを他者に話すだけで有効な手段となる場合が多い。言わば媚びた関係で、相手にとっては手駒と思われているのだが、それを承知で関係の持続を求めがちだ。まあ、多少の便宜などは図ってもらえるだろうが・・。 こんな風に考えていくと、私の場合は、知人に比べて圧倒的に友人が少ないことの理由が判ってくる。私の単なる知り合いから、いい加減に友人・友だちと言われることも避けた

風邪ひき男と2016阪神JFと香港競馬

ついにこの冬の気温変化について行けず、土曜の深夜に寒気を覚え、日曜の昼には、鼻水や咳が止まらずにダウン。 そのまま薬を飲んでベッドから抜け出せなかった。体の芯に力が入らず、頭もフラフラして、寒気が増した日曜の午後。 ふと、体を温めるなら少しだけウィスキーを飲んでみたらどうかと閃いて、即実行。確かに体だけは温まったが、思考能力は停止状態。 横になったまま、やっと眼を開けて、GCで2歳牝馬チャンプ決定戦である阪神JFと香港競馬の実況を眺めたのだった。 頭をフラフラさせながらも、香港ヴァースのモレイラ・サトノクラウン、香港Cのムーア・モーリス、阪神JFのルメール・ソウルスターリングの見事に弾けた差し脚に目を見張った。どの馬も、馬が最後に弾けるというのはこういうことだと、最良のテキストを見せつけてくれたのだ。 サラブレッドが仕上がった状態というのは、肉体と精神が共にバランスよく完璧なコンディションとなることだ。どちらかが欠ければ、結果にはつながらない。 その意味で、香港で2勝した堀厩舎の陣営も、阪神で勝った藤沢厩舎の陣営も、その仕事ぶりは、プロフェッショナルな成果として称えられるべきだろう。 いいものを見た。 しかし私の体調は、風邪がまだ尾を引いていて、今朝も最悪の状態である。 もどかしい。

駒作りの心

(2014 3月了) 2年前に、こんなメールをある若手駒師に送ったことがある。 『ご連絡ありがとうございました。 今日のメールで、熟練のホストのように、世にある駒子さんたちをじっくりと愛撫してやればいいのだと理解しました。 そして、そこには秘伝のテクニックが確かにあるのだということも知りました。先っちょを短くしたり、縦に思いや意識を定めたり、時計の反対周りでくすぐって見たり、弁慶のように100人切りですか・・・。 ああ。何と世の中は広く、凄いものなのでしょう・・・。そうしてかつて鍛えた龍山などは、やはりいい男ですもんねぇ。女房には逃げられましたけど・・・』 駒を作るということが、実は、男が女に(或いは女が男に)施す愛撫と同じなのだと気づいたからだった。 彫埋状態に仕上がった駒子さんたちに、ドレスアップとメイクアップを施して、自分にあった筆先の長さで、じっくりとしかし大胆に漆の愛撫を加えて行く。そそり立つ縦線に気を払い、クルッと払う筆の向きにも気配りし、その愛撫はエクスタシーの頂点へと向かう。 そしてようやく一枚の盛上げが出来上がっていく。後戯は漆の乾きに施される。縮ませず滲ませずと・・・。 愛撫の技法は、それこそ細やかに絶頂に導くものでなくてはいけない。その上で、経験を積み上げて、技を巧みにしかし自然に高めることも要求される。 おお、ならばそれは、この世の何処かにいるという、あの伝説の棹師の世界ではないのか? そうなのだ。おそらく駒師たちは、それぞれに理想の女(或いは男)を手先の技法によって「いかせる」ようにして駒を作っているのだ。それは同時に、数をもこなすことさえ要求される。最終的には、かの吉原の花魁たちを総揚げして、皆をいかせ切った奴が、淫靡なる世界の深みや重さの表裏全てを知り抜いて勝つのだ。 もしその技を見て、ガサツな仕上げや、作り上げた顔のドレスアップやメイクアップに不満を抱いたとしたら、それは、異性を絶頂に導く技法の未熟さ故ということに他ならない。異性をいかせられない駒師は、作品の魅力を生み出せはしない。 そう考えると、またひとつ駒というものに興味が湧いてくる。うん、面白い・・・。 あとは世に蔓延る俗説に惑うことなく、本物の審美眼、本物の感性で、本物の作品の味や香気を体得できる

2016チャンピオンズC~中京ダート1800m

出来上がった作品のチェック作業に入ると、どうも他のことが後回しになってしまう。特に「書き下ろし」で新境地に挑んだ場合には、これでいいと安心できる根拠がまだ希薄なので、どうも心が落ち着かずにざわめいてしまうのだ。締め切りがあってないようなときが、最も辛い。こんなときには、傍で誰かが「いいね」と一言囁いてくれると寒い心も温まるのだが、世間は優しくない場合が多い・・・。 で、先週の土曜。贔屓のムーア・アルバートが中山ステイヤーズSを、池添謙一ヤマカツエースが中京金鯱賞を勝ち、日曜を迎えた。 師走のダート日本一決定戦チャンピオンズC。以前のJCダートの名残のレースだ。 有馬記念の後、暮れの大井で東京大賞典があるので、祭りで言えば宵宮の感じが拭い去れない。JC時代の方が、何となくイメージが鮮烈だった。 中京のダート1800m。ともすれば直線だけの攻防で決着するイメージがある。ある程度のペースで行った先行馬が、坂のある長いホームストレッチでゴール前で疲労度を増して脚を鈍らせた瞬間に、4コーナーを廻って残り400m地点からレースに絡み始めた追い込み馬が迫って、ゴール直前の50mで決着するパターンが多い。 先行馬がそのまま粘れば、強い先行馬となり、追い込み馬が差し切れば、鮮やかな追い込み馬として称賛されるのだ。どっちに出るかの2者択一と言える。 今年もそうだった。直線でダート戦6連勝馬・武豊アウォーディーが抜け出したが、ゴール前で脚を鈍らせ、残り400mの追い込み馬大野拓弥サウンドトゥルーに差し切られたのである。 3着の人気薄和田竜二アスカノロマンも先行して足を鈍らせた形で、4着津村明秀カフジテイクは最後方からの残り400m組だった。 このレースは両極端の勝負馬が結果に絡んでくるのが面白い。 結局、3人の世界レヴェルの騎手たちが乗った人気馬たちは全滅。すると大野拓弥、和田竜二、津村明秀のようないぶし銀の騎手たちが浮上する。私見だが、これらの騎手たちは時流に乗った騎手の裏側で腐らず奮闘しているし、彼らの精進こそが、実は競馬を最高に面白くする力となるのだ。何事も表だけでは成り立たない。表と裏が複雑に入り組み合ってこその世界なのだから。 とかく勝負事は、眼光紙背に徹し、表と裏を確かに見分けなければと、初稿の原稿

金魚を飼おうか⑥~ランチュウの成長5か月目に突入

もう師走。 ようやく2016の年初めに決めた目標の一つが、昨日、形になって喜んだが、よくよく考えるとまだ1/4しか終えてないのにもう師走なのだから呆れてくる。これも実力の証さと居直るしかない。 でも金魚を見ていると、時間の経過は確かな成長となっているのが解る。 私の手元に来て早5か月目に突入。9月からはずっと室内の金魚桶で飼っている。小さなエアの濾過機はつけているが、あとは毎日の餌やりと、週に1度の水替えで、もう何の病気もせずに日々成長を重ねている。 何度も書くが、相撲取りを育てている気分で、だいぶ腹回りや頭の肉瘤がしっかりとしてきた。こちらの気分を癒してくれる存在となっている。 外のメダカはもうあまり餌をやらない季節となっているのだが、室内では昼間は15℃ほどに上がるので、今は日に1度気温が上がったときだけにしているが、痩せてはこない。もっと寒くなったら冬眠させることになるだろう。このままだと年明け辺りと予想する。                                                       オランダ獅子頭も少しづつだが大きくなった。ランチュウの方が大きくなるスピードが速いのがちょっと不思議だ。                 今日は秩父夜祭の大祭。連発する花火の音にビックリしなければいいのだが・・・。