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2017 有馬記念~中山・芝2500m

12月24日。クリスマスイブの夜明けに、私は2度もトイレに駆け込む羽目になった。 下痢と鼻水と脱力感。正露丸を多めに飲み、止まらぬ鼻水にはかねて主治医から処方されているムコダインを服用し、脱力感には、これも処方されていた葛根湯で対処してみたが、外が明るくなっても症状は治まらない。 中山行は諦めて、朝8時過ぎに報道室のOさんに「本日欠席」のメールを入れた。「了解しました。お大事に」との返事をもらって、そのままベッドの中でウトウトしていると、新潮社の編集者Kさんから電話が入った。最初は話がかみ合わなかった。彼は、どうやら私がすでに中山にいると思って、自分は風邪で欠席するがそちらの様子はどうか?と連絡をしてきたのだ。訊かれた私がまだ家のベッドの中にいたのだから話が噛み合うはずもない。互いに事情を理解して、共に風邪に見舞われてしまって力の入らない苦笑いを交わし合って電話を切った。 昼過ぎまで横になっていたが、そろそろ有馬記念のことを考えようと、厚着をして机に向かった。 頭はボーッとしていたが、出走メンバーを改めて見渡しても、今日の有馬記念で武豊キタサンブラックに絡んでいく力のある逃げ馬も、おそらく中山右回りなら自ら逃げるだろうキタサンブラックに圧力をかけ続ける先行馬も見当たらなかった。しかもキタサンブラックは、先行馬に有利な1枠2番を武豊自身が抽選で引き当ててもいたのだ。まさに、「どうぞ勝って下さい」という様相だったのである。 となれば、3コーナー辺りの勝負ポイントで、他馬よりも一瞬早く仕掛けの始動を始める馬でなければ、ほぼ勝負にならないことも自明だった。 キタサンブラックは4コーナー手前から上り34秒台の脚で逃げ込みを図るだろう。それを上回る後続馬がいるなら、勝負になるのはその馬だ。 しかし有馬記念は、4コーナーを1周目は外回りで廻るが2周目は内回りを廻る。もともと強い先行馬には有利なコース形態なのである。 「おそらく今日のメンバー構成なら、何事もなければ、順当な結果となって、5歳のキタサンブラック、シュヴァルグランに対して、3歳のスワーブリチャードがどんなレースをしてくれるのかという結果になる」 それが、素直な私の結論だった。 でも、しかし、そうは言っても、この私は世の常識にチャレンジする捻くれ者なのだ!風邪に

2017 中山大障害(芝4100m)と阪神C(芝1400m) 12月23日

12月23日。 有馬記念を翌日に控えた土曜日。個人的には、この日を楽しみにしている。というのは、中山大障害が近年とても面白いレースになっていること、また阪神Cには私が好みとする馬たちが結構多く出走してくるからだ。今年もそうだった。 大障害には、現在、石神深一オジュウチョウサンというジャンパーのスターが誕生しているし、このオジュウチョウサンが現れる前の実力馬林満明アップトゥデイトがそろそろ復活の狼煙を上げる状態になっているのである。 今回、アップトゥデイトの陣営は、オジュウチョウサンを打ち破る決意を持って、ハイペースの逃げを事前に宣言していた。勝負の活路を開くために「肉を切らせて骨を断つ」肉弾戦に挑もうとしていたのである。それというのも、オジュウチョウサンの実績は確かなものだったが、これまでの結果では、時計勝負を挑まれることなく楽勝していて、果たしてハイペースになったらということがまだ未知数だったのだ。手をこまねいていては勝負には勝てないと見た陣営が、もしもという可能性に賭けて新しい作戦に出ようとしていた。それが今回の中山大障害の最大の見処とも言えた。 パドックを見て、ほぼ一騎打ちだなと感じたが、アクシデントも予想される障害戦故に、オジュウチョウサンからルペールノエルとサンレイデュークに流し、馬連1.8倍のアップトゥデイトの組み合わせは止めて、勝負への意欲に期待してアップトゥデイトからオジュウチョウサンへ馬単1点だけ押さえて、レースを待った。これなら10倍を超えていた。 宣言通りの展開となった。 他馬を離しに離して、単騎先頭の形で林満明アップトゥデイトは逃げまくった。 この逃亡に少しばかり攪乱されたのか、石神深一の手綱と騎座はいつもの堂々としたリズムを失っていてオジュウチョウサンの障害飛越は微妙に安定感を失くしているようにも思えた。着地のバランスが美しくなかったのだ。 4コーナーを廻って直線を迎えてもアップトゥデイトはハイペースで逃げていた。 しかしその差は1完歩毎に詰り、遂にゴールでは半馬身オジュウチョウサンが交わしていた。3着以下の馬たちとの差は大差。2頭はレコードタイムを刻みながら4100mのコースを駆け抜けたのである。 的中こそならなかったが、近年稀に見る最高の障害戦を楽しませてくれた2頭の名障害馬に感謝して、中山大障害は終わった。この

2017 朝日杯フューチュリティS~阪神・芝1600m 人気上位馬の決着

12月17日。良馬場の阪神競馬場での2歳マイル王決定戦。その傾向が、阪神競馬場での朝日杯フューチュリティSというレースの存在意義を決定づけたと言える。 12月28日に今年最後のG1戦として第1回ホープフルS(芝・2000m)が装い新たに生まれたことによる影響だろう。となると、年度の2歳チャンピオン牡馬は、これまでのように朝日杯を勝った馬が自動的に選ばれることはなくなり、このレースとホープフルSのレース内容が、きちんと質的に評価されることになっていくに違いない。 となると、マイラーとしての2歳牡馬の前哨戦の内容を見極めれば、勝ち馬推理を的中する近道となるはずだ。 今年の場合には、10月のサウジアラビアC(東京・芝1600m)と11月の京王杯2歳S(東京・芝1400m)が、幸いにして10月中旬以降から月末までの大雨の影響を受けることもなく、力量通りに決着したこともあって、大いに参考にできるトライアルとなった。 となれば、あとはGCでの最終追い切りを冷静沈着に(余計な欲を込めることなく)確かめればいい。 今週も録画した追い切りを見たのは土曜だった。 まあ、ほぼ人気サイドで決まるだろうと予感していたので、推理の迷いがなかった所為もあるだろう。サウジアラビアCで魅せた先行抜け出しの川田ダノンプレミアムの力は非凡だったし、直線で16番手から2着に追い込んできたロードカナロア産駒ルメール・ステルヴィオ(朝日杯では弟デムーロが騎乗する)の脚も魅力的だったし、また京王杯2歳Sを圧勝したルメールタワーオブロンドンもその素質を十分に見せつけていた。 何事もなければこの3頭で決着するレースとなるだろう。それでも一応穴馬を1頭は探そうと最終追い切りを眺めた。選んだ3頭の気配は充分に思えた。でもこれではあまりに人気サイドで気分が乗らない。もう1頭人気薄の馬を探そうとすると、浜中カシアスが目についた。それなりの気配を示していたし、京王杯2歳Sでも先行してタワーオブロンドンの2着を確保していたのに、どうも人気がないようだ。人気の盲点を突く裏街道は、捻くれ者である私の好みでもある。 最後の難題は、ではダノンプレミアムとタワーオブロンドンのどちらを軸に選ぶかということだが、それはレースまでに決めればいいと考えた。 日曜の午後。阪神10R準オープン戦の元町Sが朝日

長くなったトイレタイム

最近、トイレにこもる時間が長くなっている。 いや、とりわけ体調に異変があった訳ではない。 その昔に購入して今でも手元に残していた漫画の単行本を、一人静かにトイレ時間に読み返しているのだ。思わず熱中して読み耽ってしまいがちになる。良いものは、何度読み返しても、こちら側の心の事情を映し出していつも新しい発見があるからだ。何度読み返しても面白いものは面白い。 私が自ら選んで手元に残した単行本は、手塚治虫「火の鳥」、矢島正雄・原作、弘兼憲史・画「人間交差点」、白土三平「カムイ伝」、畑中純「まんだら屋の良太」。結構な量で、はまって読み返し始めると長時間コースとなる。 今から30年40年前の作品だが、漫画はあまり現代作品を読むことは今はほとんどないので、私は、荒野で時間に取り残されて立ち尽くしたままのような、いわば純粋培養された読者なのかも知れない。(そうすると「釣りバカ日誌」などはその頃から今も続いているのだからすごいものだ) 今回も楽しんでいる。 それにしても、手塚治虫の近未来への想像力は時代を超えて優れて卓越したものがあるし、矢島・弘兼の生きる人間のほとばしる様な情念は憧れるほど凄まじいし、人は行きつく処まで行くと教えてくれる白土三平の世界観もうんちく深いし、畑中純のおおらかな万葉的情景も理解できる。 残したのは、全て映像的なストリー構成の作品で、それが私の好みということになるだろう。 今回読み終えて、また数年後その気になって読み返したときに、またもう一つの新たな発見があるかどうか、もはやそんなことまで期待している日々を、トイレの中で過ごしている。

2017 阪神ジュヴェナイルF~阪神・芝1600m

ゴール前の坂。 ホームストレッチを先に抜け出した川田リリーノーブルをめがけて、外から石橋脩がまるで狂ったように一心不乱にラッキーライラックを追った。 追って追って追いまくった。その手綱の叫びに答えるようにラッキーライラックはグィッと伸び切った。そこがゴールだった。 種牡馬オルフェーブルの初年度産駒が2歳最初のG1を制覇した記念すべき瞬間である。 いつものように木曜夜にGCの「今週の調教」で最終追い切りを録画して、私自身はスタンバイしていたが、土曜までそれを見なかった。本音を言うと、2歳牝馬のチャンピオン決定戦だったが、どうもまだ勢力図そのものがはっきりとせずに、確かな推理の自信が少しも持てなかったからである。一番先にデビューした馬であったとしてもまだ5か月ほどなのだから当然と言えば当然なのだが。 気分を切り替えて、じっくりと最終追い切りを見たのは土曜の午後。真剣に見終えて、私の結論には迷いがなかった。 もっともよく見えたのがラッキーライラック。その気配からは自然とオーラのようなものが漂っているように感じられた。軸はこの馬だと、即座に決めた。唯一の不安は騎手石橋脩がここ5年ほど(正確には2012春天皇賞ビートブラックとの初G1制覇以来)G1勝利を果たしていないということだったが、最近の騎乗には安定感を増している成長感のある騎手だから問題ないと踏んだ。ここらで日本人騎手の存在感を示して欲しいとも願ったのだ。(今、騎手界は相撲におけるモンゴル勢のように、西欧の騎手たちに席巻されている) ルメール騎乗のロックディスタンスもそれなりの気配だけは示していたが、牡馬を駆逐した札幌2歳S以来のぶっつけ本番というのがどうしても気懸りで(トライアル戦を使わなかったのではなく、使えなかったのではないかと読んだからだ)、このレースで軸にするのは嫌だった。大外18番枠も不利だろうし、オルフェーブル産駒の上位独占というのも出来過ぎた話だと思えたのだ。だから相手馬の1頭に加えるだけの評価にした。 趣味で選ぶのなら、何と言ってもブエナビスタの仔福永ソシアルクラブ。もし福永祐一が直線で弾けさせる騎乗ができたならと、半分は願望を込めて期待した。 他に気配を良く感じたのは、川田リリーノーブルに、戸崎マウレア。結構人気サイドの選択だったから、とっておきの穴

2017 チャンピオンズC~中京:ダート2000m

夕刻から歩き過ぎたJCの東京競馬場観戦の疲れが、まだ完全には抜けきれず週末になっても頭がボーッとして慢性睡眠不足状態のようだった。 チャンピオンズCというのは、かつてのJCダートの変化したJRA競馬年度後半戦のチャンピオン決定戦となっている。とは言え、暮れの大井・東京大賞典があり、ダート馬の日本1決定戦は、どちらかと言えば地方中央の精鋭が集まるこちらの方かなというイメージはぬぐえない。JCダートの名称を変更したために位置付けは曖昧になったままである。 で、あまり真剣にならず、木曜深夜の最終追い切りを見て、ピーンときた3頭をピックアップして、日曜の午後に投票しておいた。 選んだのは、内から田辺コパノリッキー、ボウマン:グレンツェント、ムーア:ゴールドドリーム。 上り馬古川テイエムジンソクも、古豪大野サウンドトゥルーにも敢えてこの日は興味を持たず、何となくこれだけ先行馬が揃えば、逆に暴走の先行馬はいなくなってペースはそれなりに落ち着くと読んで、ならば先行するコパノリッキーを直線で、ゴールドドリームかグレンツェントが差し込んでくると、いろいろ難しく考えることはやめた。 アルバートでステイヤーズS3連覇を決め、調子を本格化し始めたムーアと、JCの覇者ボウマンに、中京に処を変えても逆らう気が起きなかったのも事実である。 でも、世論が作るオッズでは、ムーアは8番人気、ボウマンは10番人気、田辺コパノリッキーは距離が長いとみられたのか9番人気で、この3頭の組み合わせは相当なロングショットで、不思議なほどだった。 ゴール前、逃げた田辺コパノリッキーがインで粘っていた。 ゴール直前まで粘り抜いて、なかなか古川テイエムジンソクは交わせなかった。 そこに狙い澄まして、ムーア:ゴールドドリームが追い込んできた。 コパノリッキーが粘り抜いたならと思った瞬間に、テイエムジンソクが交わしたが、それより前にムーア:ゴールドドリームが突き抜けていた。 1着ゴールドドリーム。首差で2着がテイエムジンソク。さらに首差で3着コパノリッキー。4着以下は差が開いた。ボウマン:グレンツェントは好位を進んでいて直線でたれてしまったが、個人的に狙った馬が2頭、万馬券の組み合わせでゴールイン寸前まで楽しませてくれた。 昼過ぎに投票して、結果はあわや万馬

師走に思うこと

早くも師走。 2017年もあと1ヶ月。何かを成した事実もないし、相も変わらずその日暮らしで、時間は追い立てるように過ぎていく。手をこまねいていて、気づけば1年が過ぎている感覚。生きている残り時間はそれほどないのに、抗う術もないようだ。黄昏に包まれて、ただただ儚い未来を前にして今日の危うい時間を綱渡りしている。危ういと言えば危うい・・・。 世を見渡せば、20歳そこそこの若者が、50年後の年金受給者たることをを強いられ縛られている。国家財政の都合だ。若かりし者にとって、50年後のことなど想定すらできないのにだ。私もそうだった。 10代後半から20代は、それこそその後の自分の人生を考え、大いに迷い惑う時間だと思う。20歳そこそこで、お前はこういう生き方をせよと、国家のタイムスケジュールで迫られる社会なんて、ある種異常な状況なのではないか?せめて30歳までは考えるモラトリアムの時間が許容されるべきだろう。 若いうちだからからこそ、失敗も教訓としてやがてに活かせるのに、国が決めたタイムスケジュールに外れたらもはやチャンスはないと、経済的にも締め付けられるのは、どう考えてもおかしい。 高校を卒業して、例えばケーキ職人になりたいと専門学校に入学して資格を得ようとしてみても、やってみなければ、それが本当にやりたいことか、自分にとって本当にやり抜けることなのかは判らないものだ。でも気づいたときには、すでに高額な入学金や授業料なるものが背負わされてしまっている。職人型職業は、実は専門学校の教育より、実務経験値の評価を重要視すべきだろう。 大学の専攻にしても、現在のように様々に多様化した学部があれば、何をどう学んでどうしようかなどとは、受験期の時間の中では正しく見極めることも大変だ。 現在のように、教育の形をとって、それをピンからキリまである教育産業の稼ぎのネタにするようなシステムでは、本人がやっと適性を考えて他の道に転身しようとしても、すでにそのときには高額な返済型奨学金などに縛られて身動きすることさえできなくなってしまっているのではないだろうか?どう考えても、こんな若者の現実はおかしい。 多くの進学校や予備校のシステムにしても、受験技術が金で買える方法論が主流となっている。要領を金を支払って買う者が優遇されている。本来の学問は、その

2017 JC~東京・芝2400m H.ボウマン「教科書通りの正攻法競馬」

いつもの通り東京競馬場に着いたのは11時頃。 人波にもまれながらスタンドを横切り、東来賓受付から8階ダービールームに向かう。 と、いつものメンバーが揃っていた。微笑やかに挨拶を交わして着席。思うところがあってこの1週間タバコを止めていたが、タバコの買えない競馬場で頭の中がイライラするのを避けようと、駅で1週間振りに一箱買ってしまい、いざ出陣と心の準備は整えたが、買った後には、己の意志の弱さを悔やんでもいた。せっかく1週間も我慢していたのにと。でも止めるときに止められる自信を得たのだからと、都合良く自己納得してもいた。私の本質は、意志の弱い人間なのかも知れないが、あまりに禁煙にムキになるのも不自由だと感じるおおらかさを持っているのだ。 ワイワイ言いながら、山暮らしの日常とは違う賑やかな部屋の雰囲気に、今日は軍資金が多少少なかったこともあって心から馴染めず、そんな心境からだったろうが、ついペースを乱して5Rから競馬に参加してしまった。これも柄にもなくタバコを止めていた影響だろうか? 所沢までのレッドアローの中で、実は今日の9Rと10Rは新聞を広げて眼を通していた。閃いてもいた。 共に馬連3点のボックス予想で、9Rは、ルメール、ムーア、デムーロの外国人騎手の揃い踏み、10Rはボウマン、戸崎、ムーアを調教欄から選び出していた。 だからきちんと選んだレースだけに手を出したなら、いつものマイペースだったのだが、肝心のJCでは、ボウマンが乗って馬が走る気を示していたシュヴァルグランや、ルメールが調教で馬の気配を引き出していたレイデオロも、いつものように黒岩悠が馬を仕上げたキタサンブラックを外してみようと思っていたので、どうも平常心を失っていたのかも知れない。 シュヴァルグランやキタサンブラックを今日は応援しないと決めたのは、どうもオーナーサイドの濃い目の顔が馬よりも先に浮かんできて、あまり幸運を独占するなよなという庶民の意固地だったろうし、レイデオロはダービー馬だがまだ古馬の一線級とは闘っていなかったので、それならここ2戦古馬にもまれる体験を重ねた負担重量53Kgのソウルスターリングに期待してみるかと思ったのだった。 で、時間つなぎを兼ねて、つい5Rから手を出してしまったのだ。 しかし競馬場当日のテーブルで直感するだけの推理では、結果は惨敗。デ

金魚を飼おう⑯~ランチュウの成長・1年と4ケ月目

今日は、金魚の水替えの日。 エアポンプと小さなフィルターだけのこんな原始的な環境で育てているが、これが逆に金魚たちにはいい環境となっているのか、去年の秋以降、大きな病気もせずに順調に育っている。 過度な装飾を施したガラスの水槽飼育より、贅沢は敵だとばかりに清貧質素なたらい桶飼育の方が結果がいいことを教えられた1年だった。(でも、私自身は贅沢はステキだと思う我欲は失ってはいないのだが・・・)   今回はエアでランチュウたちの姿はクリアーに見えないが、ときにはこんな写真も風情があるのかも知れない。 これからの季節は、多少餌を減らしていくのだが、居間に置いているので午後になって水温が上がると、餌をねだる動きも活発になるのでつい甘くなってしまう。お腹が空いたのかいと、つい情に負けてしまうのだ。 だから結局、週に一度か10日に一度の水替えは、どんなに寒くても手を抜けないことになる。 まあ、いいか。立派に太らせてやるのも道楽だ。このたらい桶には、ランチュウ3匹とお気に入りのオランダ獅子頭が1匹。雄雌の区別は判らないが、いずれ交配のしぐさを見せるようになったら別々にしなければいけないかも。 それまでは、このまま飼っていようと決めている。

第6感の重要性

<勝負感も知に基づいた第6感である> (絵:N.Akira) 人には、閃いて働く「第6感」がある。 感覚には、視覚、嗅覚、触角、味覚、聴覚を指して「5感」の感覚があるが、それらが機能して働くとある一瞬に、人はある種の動物的本能で「第6感」を機能させるのだ。 そのためには「5感」を駆使する普段の訓練が必要となる。おそらくそれは、鍛え抜かれたた忍者が皮膚感で感じる気配のようなものでもある。 こんな風にも言えるかも知れない。例えばアスリートがグランドですばらしいファインプレーを実現する瞬間。狙ってやれることではなく、気がついたときには肉体が反射的に動いて、できてしまっていたという結果が後から実感できるような瞬間だ。 「5感」を鋭く機能させる日常鍛錬がそんなファインプレーを支える。 現代人は、おそらく「5感」を動物的に働かせる前に、何気なく指先を動かして便利に(しかし動物的には明らかに退化であろう)目先の情報を得てしまっている。時間は節約できるのだろうが、何か大事なものをおろそかにしてしまっているのではないか? 例えば道に迷って、今自分がどこにいるのか判らなくなってしまっているとき、その問題を即座に解決するには、スマホで地図や現在位置情報を探ればいいのだろうが、敢えて迷いながらも自力で解決してみることに意味はあるのだ。時間と太陽の位置から方角を探ってみることなどから、解決の道は開けていくだろう。 もし無人島に行ってサバイバル生活を始めるとなったとき、あるいは戦火で焼け出されて難民生活となったときなど、補充電源が失われた1台のスマホより、1本のナイフの方が頼りになるに違いない。 そんなときは、生半可な情報より、水の在処や食べられるものかどうかの動物的判断の方が有効だ。 洗濯機の実現は社会的に大きな貢献をしたとは思うが、ボタンのプッシュ操作一つで何でも実現できるような文化的生活は人間の退化を早めるものになると思えてならない。センサーを頼りにする自動運転、自動ブレーキの車も然りだ。 アナログ人間種族かデジタル種族かの違いは、機械は壊れるものと予知するか、機械の安全神話を信仰するかの違いだろう。 私自身は、機械はいつか必ず劣化して壊れるとしか思えないので、アナログ種族である。 でもだからこそ、人の

ついでとばかりに~普段使いの駒たちを

3日ほど前に、湿気の悪影響がなかったかと取り出してみた盛上げ駒。 何故か、ご覧になる人たちが多く、今さらながら驚いています。ただ私は宣伝係でもブローカーでもないので、敢えて作者の名には触れていませんので、ご推察くださいませ。 で、ついでですから、普段使いの駒写真も撮ってみました。著名な駒師の作もあれば、この私の手になる下手な駒もありますので、ご注意ください。 こんな駒をその日の気分で使っています。 そう言えば、こんな駒も平箱にしまっていました。この<篁輝>書体は今では珍しいでしょう。                                                       自作を含めて、これだけでもう6組。使いこなすことも手入れするにも骨が折れます。 改めて、欲しがる所有欲に責められて、ただただ増やせばいいというものではないと思い知らされます。 それでも欲しくなるのなら、1組手に入れたら1組を手放す意志を持つことかも知れません。 使われてこその道具ですから。 そう思う、今日この頃です。

2017 マイルCS~京都芝1600m またもやミルコ!!神様、仏様、ミルコ様!

11月19日。先週のエリザベス女王杯に続く快晴の京都競馬場。 マイル路線を目標とする馬たちが揃ったが、私の結論には少しも迷いがなかった。 このブログに眼を通してくれている方なら、私自身がエアスピネルとイスラボニータをずっと応援していたことをご存じだろう。 それに、3歳の皐月賞2着馬ペルシアンナイトと、京都での適性実績が少しばかり気になるがサトノアラジンも抑えておこうと決めていた。武豊の路上キスや調教中の負傷が影響したのか、エアスピネルは直前にR.ムーアへの騎乗交替となってもいて、それでどんな走りを見せるか大いに興味もそそられていたのである。軸はこの馬だ! どう考えても、何のアクシデントもなかったなら、最後の直線ではムーア、デムーロ、ルメールの揃い踏みの叩き合いになるだろう。そこに川田将雅が差し届くかどうか。好位からエアスピネルとイスラボニータ、ペルシアンナイトはミルコの必殺技のイン攻撃か。サトノアラジンは直線いっきだろうが、坂のない京都ではトップギアに上げる勝負の瞬間をよほど的確に掴まないと追いすがれないだろう。午前中からレースの瞬間を楽しみにして過ごしていた。 ところがである。昼前に急用の連絡があり、どうしても出かけなくてはならなくなった。できるものならトボケタイとも思ったが、浮世の義理でそういうわけにもいかない。とりあえずGCのレース録画を予約して、パドックも生(ナマ)で見られないなら、ほんの少しだけ購入しておいて、もし運良く間に合うようなら急いで家に帰って買い足すことに決めて、後ろ髪を引かれる思いで着替えて外出した。 結局、用事は夕方過ぎまでかかり、家に帰りついて録画画面を見た。 直線、ムーア・エアスピネルが抜け出し、ゴール前にイン攻撃から抜け出して来たデムーロ・ペルシアンナイトが迫って、エアスピネルが最終最後に脚勢を弱めた瞬間に差し切っていた。エアスピネルは強い競馬をしたが、G1にはほんの僅か届かなかった。 ゴール前の攻防は見応えがあったと思う。 この結果に、何故、よりによって今日、浮世の義理を果たしに出かけなくてはならなくなったのかと恨めしく、つくづく自分の運気の弱さを感じた次第である。タラレバだが、あのまま午後にゆっくりとレースを見守れたなら、納得できる勝負ができたのに・・・。ほんのチョイ抑えになってしまった・・・。誰を恨むのでも

ちょっとその気になって

(フラッシュ撮影画像で飛んでしまっているが、古木の味わいがある) 先週末、マイルCSの前夜、そう言えばと気になって、久し振りに将棋の盛上げ駒を取り出してみた。 先月の降り続いた雨で、何か異変がなかったかとチェックした次第。駒は黄楊の木でできている。木材には湿気は危険だからだ。 結果何事もなく、安心した。イボタ蝋で磨いて仕上げた効果だろう。 結局、飽きずに私の手元に残ったのは、伝統ある「安清」系の書体だった。好みは時間と共に収斂して明確になるものだ。そこに至るまでに、あれもいい、これもまたいいなどと、無駄に浪費を重ねて迷い惑うていたのだが、楽しさで言えばその瞬間こそが楽しかった。今は冷静なので、ほとばしる様な熱さはもう生まれてはこない。いいものに触れたときに「これなら飽きさせないでくれるな」と、そっと頷くだけで満足する境地で、何が何でも手に入れたいなどと焦る気持ちもない。 あと2~3組ほど廉価な木地を預けてある駒師もいるし(まあ忘れていなければそのうち手が空いたら作ってくれるでしょう)、いざとなったら下手を承知で自分でも挑戦できるし・・・。 先週末は、こんな老成した境地で過ごしていた。 そして・・・・。       

「信」という言葉

「信」という言葉が、その意味をすり替えられてしまって久しい。 信用、信頼、信義、信実、信念・・・信仰、信徒などという熟語もある。 「信」という言葉は、人偏に言葉という構成だ。つまりは、人の言葉によって、信用も信頼も信義も信念などもが生まれていることになるのだが、21世紀になってから、それも特にここ5年ほど、人の言葉がこれほどまでにいかがわしくなっている時代風潮は嘆かわしさを超えている。 社会の上に立って粉骨砕身の精神で下々の小さな幸せをリードすべき存在が、率先して「信」という人が発する言霊の精神を裏切っているのだから、何をか況やである。過去には三菱自動車や雪印、今は日産や神戸製鋼に象徴される大企業も然りである。 教育を商売にする輩の学園の「誰かのお友達である」責任者が、引きこもったまま何らの言葉をも社会に発しないままに、莫大な公有地や予算を得て認可される不思議さも同様だろう。社会に発する責任者自身の言葉もないのだから、「信」など生まれようもないが、もっと不思議なのは、それを取り巻くお偉い方たち(たぶん自分が選民だと自惚れているだけだろうが・・)の言葉に、「信」の気持ちが全く抱けないのは、いったいどういうことなのだろうか? 答えは、判り切っている。それらの言葉に、包み隠そうとする偽善・欺瞞はあっても「信」の裏付けがないからだ。 「信」を失った時代、「信」を失った社会が行きつく先は、ああ言われたらこう言い返して、既成事実を作り重ねていく不誠実な時代と社会だろう。誰も責任を取らず、最大多数の最大幸福ではなく、最小少数の特権的幸福を調整する選民社会に夢と希望の未来などありえない。 何となく、次代が不安な世相が続いている。正直、怖さを覚えるほどであるのだが・・。

2017 エリザベス女王杯(京都・外回り芝2200m)~秋晴れの爽やかな空の下なのに・・・

3頭が凌ぎ合いを示してゴールインした瞬間、私は声を上げた。 「オイッ⁉」っと。 「オオッ!!」でなかったのが、儚く辛いあるがままの現実だった・・・。 10月のG1戦の晴れ舞台がずっと大雨に見舞われていたこともあって、この日京都で行われたエリザベス女王杯が爽やかな青空の下で開催されたのは、久し振りに幸福感を覚えるほどだった。 集ったメンバーも3歳から5歳世代と、7歳のスマートレイアーまでの現時点での最強アマゾネスたちが揃って、秋晴れの良馬場でのスピード決戦を予想した多くのファンたちもまた、それぞれに大きな夢を抱いてレースを迎えようとしていた。実際、この出走馬たちなら好きなどの馬からでも馬券での応援は可能と思わせる様相だったのである。(別の視点から言えば、だからこそ難解という意味もあったのだが・・・) いつもの通りGCの最終追い切りを見て、最初の段階で、その気配に魅かれたのは、ルージュバック、ミッキークイーン、スマートレイアー、クロコスミア、モズカッチャンとヴィブロスの6頭だった。出馬表に黄色のマーカーでサッと印をつけたのだから、直感そのものは正しかったはずだ。 でも6頭の選択は、私には多過ぎる。レースの時刻までにもう少し絞りたい。 出馬表の内から、和田竜クロコスミア。最終追い切りで、馬自身が走る気を見せて、抜群の手応えある気配を発散していた。2枠4番から、今の和田竜二が前を行く騎乗で持たせてくれたなら大きな可能性があると読んだ。10月14日の稍重の馬場での上り33秒7の逃げ切りは印象的だったこともある。このときドバイ以来の復帰初戦だったヴィブロスを負かしたのだ。それに騎乗者に決まった和田竜二が、最近は前に行く戦法で確実に実績を挙げているのも心強かった。思えば、和田竜二は、テイエムオペラオーの3歳春の毎日杯で最後方からのごぼう抜きを決めて、馬共々スポットライトの中に浮上したのだが、今では先行タイプの騎乗で粘りある姿を示している。これなら初騎乗でも安心以上に勝負掛りと見なせるというものだ。 M.デムーロ・モズカッチャン。その名は地味だが、オークス2着に粘ったしたたかさや、落鉄に見舞われた重馬場での秋華賞3着で示した安定感は、新種牡馬ハービンジャー産駒の出世頭にまで這い上がっている。騎乗するデムーロの強引なまでのしたたかさとのマッチングも効果大であるに

2017秋・天皇賞(東京芝2000m)~やっぱり雨の中

  台風21号が北上し列島を抜けたかと思ったら、また週末に台風22号が通過した。週内からはずっと雨模様が続き、秋・天皇賞のスピード決着は望むべきもなかった。 関東では、土日にかけて雨脚は強まり、これはまた菊花賞と同じようなパワフルな競走馬魂が試されることになると、誰もが確信したに違いない。今や世界競馬の頂点に駆け上がっている日本競馬の巨大グループが、主として日本の競馬のために生産する名馬たちは、日本の軽い馬場に即応したスピードタイプの馬たちが多いから、秋華賞、菊花賞のような力とそれに耐えるだけの強靭な精神力が試されるような馬場になると、果たしてどの馬にスポットライトが照らされるのかが曖昧模糊とならざるを得ないのが、競馬ファンが直面する現実なのだ。 東京競馬場には11時ごろに到着した。西玄関受付から7階に上がり、しばらく椅子に座ってじっとしていた。大雨の中、競馬場に駆けつけるのも体力と気力が必要で、気儘勝手な山暮らしの身にはきついものがある。 雨は午後にはさらに強まる気配が濃厚で、途切れることなく馬場に降り注いでいる。それでもこの日、6万4千人のファンがどこやらから集ってきていた。これだけの豪華メンバーが揃えば、ライブで見たいと思うのは当然だろうし、雨が煙る不良馬場の秋・天皇賞などずっとなかったから、記念すべき記憶となる価値もあったろう。的中すれば喜びに包まれた記憶ともなるだろうし・・・。 何となくピーンと来た6Rの松岡正海ローレルジャックの単勝を買ってみただけで、9Rまでは競馬新聞と窓外に広がる馬場の状況を眺めながら時を過ごしていた。9Rの1000万条件の特別戦精進湖特別は、天皇賞と同じ2000mの距離で行われる。このレースをきちんと見守ったなら、今日の天皇賞のある種の傾向も判るというものだ。 結果は、何と2000m2分10秒1の決着で、上り3Fは38秒を要していた。良馬場の強い馬のスピード決着なら、2200mの時計である。すでに10秒以上時計のかかる水飛沫の跳ね上がる不良馬場となっている。天皇賞までに後1時間15分もあり、雨はさらに降り注ぐだろう。 GCの最終追い切りをいつものように録画して見直したりしていた。ひと目で気配の良さを感じたのはサトノクラウンだった。M・デムーロが前走毎日王冠で勝ったリアルスティールを降りてまで手綱を取る

2017菊花賞(京都・芝3000m)~水飛沫と泥だらけの勝利

先週は、週内に1日ほど雨が上がっていただけで、後は本州直撃の台風21号の影響で雨が続いていた。 結局、菊花賞当日も雨また雨。気になって、朝早くに投票に行き、午後からGCを見たが、芝のレースは水飛沫が舞い上がる状態で、6F(1200m)のレースでさえ、普段の良馬場からすると約6秒ほど時計がかかっていた。ここしばらくを振り返っても、これほどまでに悪化した芝のレースは想い出せなかったほどである。 実に悩ましかった。脚ひれをつけたような重馬場得意の馬が浮上するのか?いや、ここまで悪ければ、血統的にパワフルな血が保証された馬が浮上するのか?いやいや、もはやどの馬さえも同じ条件となって、結局はこれまでそれなりの力を示してきた馬が改めて脚光を浴びる結果となるのか?・・・はっきりとした見極めなど、私ごときには全てが五里霧中で、何も思い浮かばなかった。 勝負事と言うのは、いちど迷い始めると、迷いが迷いを呼んで、さらに見通しのきかぬ濃い霧の中に突き進んでしまうものである。 それほどのどの馬も体験したこともない馬場状態だった。 木曜の深夜に録画したGCの最終追い切りを、何度か見直して、私なりに各馬の気配をチェックしていた。最初に選んだのは、内からウィンガナドル、クリンチャー、アダムバローズ、サトノアーサー、ミッキースワロー、キセキ、アルアイン。追い切り時計ではなく、それなりに馬自身が走りたいような気配を示している馬たちを選んだ。でもこれでは多過ぎる。 パドックを見て、レースまでに軸馬を決め、4頭ほどまでに絞ろうと決めた。 しかし窓の外は雨が続いていた。雨は、台風21号の北上と共にレースが近づくにつれて雨脚が強まってもいた。 迷いは大きくなった。常識的には、先行馬有利という気持ちに振れてくるのはやむを得なかった。中団後方の様なポジションからホームストレッチで差し切るというイメージは持てない。せめて4コーナー5・6番手辺りにまで来ている馬でなければ・・・。 日曜の午後は、ずっと迷い悩んでいた。こうなったらダービー上位馬だけを選んでみようかとか、人気薄の先行馬のロングショットかもとか、どう考えても人気上位の一筋縄では決まらないだろうとか、芝の6Fで6秒ほどかかっているなら果たして菊花賞の決着タイムはどうなるのだろうかとか・・・雨の神様はどの馬を選ぶのだろうか

2017秋華賞~京都・内回り芝2000m 

先週の京都大賞典を横山典サウンズオブアースを軸にして、いわゆる縦て目の抜けで取り損ねたために、意気消沈して過ごした1週間だったのだが、思わぬ結末が待っていて、土曜の午後には予期せぬ微笑みに包まれてしまった。 まあ、こういうことがたまにはなかったら、楽しみのない人生になってしまう。そう思うと、頬の筋肉はさらに緩んでしまった。 と言うのは、こんな流れだった。 縦目で逃した京都大賞典の落胆と反省は、私にはダメージが大きく、一瞬頭をボーッとさせてしまっていたようだ 。ボーッとした中で、エエイとばかりに、まだ消してなかったAパットのキー操作をして、京都大賞典の後に行われた岩手・盛岡の南部杯(交流G1ダート1600m)を、ほんの少しだけ馬連で買ってしまったのである。先行するだろう吉原ノボバカラから、連覇を目指す田辺コパノリッキー、中野省キングズガイ、川田ゴールドドリームへの馬連3点だった。 その後GCはつけっ放しにして、レースの生中継も見たが、ゴールインした瞬間、圧勝したコパノリッキーに目を奪われて、何と2着にはキングスガイが届いたのだと錯覚して、そのままTVを消してしまったのである。京都のショックが尾を引いて、やはり頭はボーッとしたままだった。 それから1週間、反省の日々で何とか過ごしていた。土曜の午後に明日の秋華賞の軍資金は少しはあったのだろうかと、念のためネットバンクを調べてみると、何と思いがけず予想外に増えていた。取引明細を見てみると、どうやらJRAから振り込みがあったらしい。JRAの購入記録を見ても、毎日王冠は的中だったが、その配当は京都大賞典で失くしていた。だからJRAから振り込まれる筈はなかった。 そこで思い当たった。そう言えば南部杯を買っていた。そこでAパットの地方競馬から南部杯の購入記録を調べてみると、ノボバカラとコパノリッキーの馬連を確かに買っていたのだ。しかもノボバカラが人気の盲点となって、馬連は万馬券の結果だったのである。その配当が、JRAから振り込まれていたのだった。 ヒャーッ・・・。私は、この1週間を忍耐と反省の日々で耐えていた。ああ、それなのに、それなのに・・・。と、なれば、1週間の反省と忍耐は、そもそも無駄なことだったのか?いや、それを言ったらお終いかも・・・。 とにもかくにも、結果を知らずにいた

毎日王冠と京都大賞典~10月8・9日

これから本格的に始まるG1戦を前にして、やはり古馬戦線の重要なトライアルとなるのは、毎日王冠(東京・芝1800m)と京都大賞典(京都・芝2400m)だ。そしてこのレースを見終えると、秋G1の活況が始まっていく。 今年は、7日からの3日連続開催で、8日に毎日王冠、9日に京都大賞典が組まれた。世の中連休中で、頭の体操の退屈しのぎにもなったが、意外だったのは昼間の気温で、出走馬の多くは汗をタラタラと流していた。10月初旬の30度近い温度もきついものだ。すでに扇風機はしまっていたので、夕方まではエアコンをつけっ放しにするほどだった。 ここ数日で、今の日本社会の中枢には、信義も節度も闘う高貴さすらも決定的に欠如していることがはっきりして、それも大方の世論の反映した世相と情けなくなってしまっている身には、せめて一筋の気概を示した立憲民主には健闘して欲しいと願うばかりだ。 リベラルという言葉は、今世間で使われているような「左派のイデオロギー言語」では決してなく、本来、人間や人権・自由を尊重する精神を指すのだが、敢えて意図的な政治言語として壟断されてしまっている。実はジャーナリズムが最も尊ぶべき言葉こそ、不偏不党のリベラル精神であると、私は理解している。リベラルの同義語はサヨクでもマルキシズムでもない。対極にあるのは、国家主義、国権主義である。国の生存がなければ個人の生存もないと高々という輩がいるが、私に言わせれば、個人の生存なくしてそもそも国家機構など存在しえないのである・・・。 とか何とか、義憤を覚えながら、そのストレスも一瞬忘れて、8日の午後、まずは毎日王冠を迎えた。 GCの最終追い切りを見て、私の選んだのは、リアルスティール、グレーターロンドン、そして大穴なら力は足りないかも知れないが気配の良さが目立っていたウィンブライト。取り合えずその馬たちにオークス馬ソウルスターリングから流してみようか。 パドックを見終えて、どうも私の心はソワソワと落ち着かなかった。妙な騒めきが収まらなかったのである。すでにパソコンから決めていた馬券は購入してしまっていたが、それでも落ち着かなかった。 外国人ジョッキーから川田将雅の手綱に戻らなかったマカヒキは、もし好走するとしても次だろうと思っていた。その川田は仏凱旋門賞に乗せた陣営のサトノアラジンに騎乗する。 そのと

金魚を飼おう⑮~ランチュウの成長・1年と3か月目

     夏が過ぎて、順調に秋を迎えた。ランチュウ3匹。 また一段と体重を増したことが、今朝の水替えで判った。すくうと網が重く感じる。 最近は、餌を自分からねだる様にもなって、近づいて水桶をトントンと軽く叩いて合図を送ると、スッと浮き上がって口をパクパクと開けて、「早くちょうだい」という仕草を見せる。沈下性の餌の方がいいのがあるのだが、浮遊性の方がコミュニケーションという意味では有効だ。 まだまだどれだけ大きくなるか、楽しみにしている。                                                    

2017 スプリンターズS(中山芝1200m)と仏・凱旋門賞

世の中がどう動こうと、大災害などで施設が壊れたり、馬の輸送経路となる道路が運行不能とならない限り、決められたスケジュール通りに競馬は開催される。平和の恩恵だ。 10月1日。昼は、中山・芝1200mの短距離G1・スプリンターズS。夜は、仏・シャンティ競馬場芝2400mの世界のG1・凱旋門賞。来年からは新装のロンシャンに戻るが、去年に続き今年まではシャンティの開催だ。 真夏のローカル開催の間は、自分自身の勝負感だけを鈍らせないように配慮して、真夏なのにそれほど熱くもならずゆったりと構えていたが、久々の中央場所でのG1戦となればそれなりに昂ぶる心も生まれてくる。 木曜の夜に、GCの「今週の調教」を録画して、日曜までに数度見返しもした。 馬の走ろうとする気配を、今まで通り自分の感性で見極めようとした。感情移入して誤るときもあるが、冷静に気配を見られたときは、選んだ馬たちがそれなりに上位に好走することが多いのは、経験上判っている。勿論、人気や贔屓に眼光が惑わされないという条件付きだが・・・。 今回、最終的に日曜の午後のパドックを確認して選んだのは、軸はデムーロ・レッドファルクス。相手は、調教もパドックの気配も輝っていた石橋脩・ワンスインナムーンを1番手に、岩田・レッツゴードンキに、後は趣味で笹田厩舎(そう言えば、笹田さんパドックで馬の傍に来るときはサングラスの着用は避けましょうね。この前ちょっと気になりましたから)浜中・ダンスディレクターに、武豊・ダイアナヘイロー。栗東に行って最終追い切りに横山典弘が乗ったシュウジにも、春・高松宮記念の覇者幸・セイウンコウテイにも食指は動かなかった。 いやはや、スプリンターズSのゴール前は燃えた。 ワンスインナムーンが先頭で粘りを見せ、そこにレッツゴードンキが中団インから追い上げて迫り、さらにひと呼吸遅れて外からレッドファルクスが弾ける差し脚で豪快に迫ってきたのだ。 通常なら、レッツゴードンキとワンスインナムーンで決まっていたのかも知れない。しかしレッドファルクスのゴール前の坂を上り切った後のわずか1Fに満たない距離での差し脚は驚異的だった。ゴールでは、全ての馬たちを交わし切っていた。凄い・・・。 レッドファルクスは、スプリンターズSの2連覇を達成。過去には、サクラバクシンオーとロードカナロアだけしか成し遂げていない

「名を捨てて実を取る」ということ

   勝つか負けるか? 最初は、目標実現のための大まかなる「大同団結」かと思った。 分断された細かな固まりが、とりあえずひとつに固まって、より大きな集合体となる。後のことは、固まった中で徐々に整理整頓していけばいい。最初から前提の条件闘争にはやる教条主義には、発展性はない。おおらかな懐の深さこそが、集団を強化しより大きな人々の固まりとなることを保証するのだが、やはりそのことを理解する度量は伺い知れなかった。 止揚(アウフヘーベン)という言葉が使われたが、私のつたない学習経験だと、止揚とは、確か弁証法的には、AとBという対立する軸が、真摯な議論によってCという新たなパラダイムに発展するという作用のことである。対立を抱え込まなければ、そもそもアウフヘーベンすらできないのだ。 そう考えていくと、どこやらの女性新代表は、(レヴェルの低い取り巻きを含めて)すでに排除の論理で限界を示してしまっているし、それなりの資金と数を持っていたはずのどこやらの男性代表は、かつて偽メール事件でそうであったことを再現するかのように、またも詰めの甘さを吐露してしまった。「名を捨てて実を取る」前に「名も捨てて実も母屋も取られてしまう」状態になっている。嘆かわしいものだ。 今回の喜劇の裏側を勝手に妄想推測すれば、それなりに浮かび上がってくることがある。どこやらの何とか会議が、モリ・カケ私物化首相のやがての失脚に保険をかけるように、結果的に野党第一党を解体・乗っ取りの形で女性新代表の作った新しいグループに肩入れを図ったと考えると、様々なことが納得されるのだが、果たして真実はどこにあるのか?山暮らしの中では、遠い永田町の景色の実態は見えず、勝手に想像を逞しくするしかない・・・。 アッ、今、気づいたのだが、そうだ、自然と同化する今の私には、摩擦を呼ぶ対立軸が(自分の心の思いと置かれた現実以外には)生まれ得ないので、結果的に私は社会的にはアウフヘーベンしない奴になってしまっているのだ。まあ、それはそれで良しとするしかないのだが・・・。

失語症的症状?

近頃、私は私自身の言葉を失ってしまっている。 ここ7年の間、このささやかなブログを通して、せめても筆先を鈍らさないように、折に触れて関心ある事柄を書き記してきたが、コツコツと積み上げてきた(本来怠け者の私だが、相当な覚悟と努力を続けてもきた)ものと、現実社会のご都合主義の風潮や刺激の無さに、何となく違和感を抱き始めてしまっていたのだ。 こうなると、今このとき、なにをどう料理して文章にすべきかというモチベーションはいっきに下がって、もうどうでもいいんじゃないかと、無力感を思い知らされることになる。 まあ、例えば倦怠期の夫婦とか恋人同士とか、慢性疲労の蓄積で闘志の湧かなくなったアスリートや受験生の心境、とでも言えばいいのだろうか? で、ずっと文章修行も感性磨きのお勤めも隅に追いやって、沈黙の日々を過ごしていた。いや、黙って沈黙しているのも、逆にときたま沸き起こる言葉が内向きに向かって攻め立てて来るので、結構つらいものがあると教えられもした・・・。孤独に過ごすのは、他者との気分転換のくだけた会話もなく、逃げ場も失ってしまうのだ。うーん・・・。 とは言え、昨日あたりから刺激を感じさせてくれなかった世の中も、何となく何かが起こりそうな気配があるようだ。 私の失語症的症状も、そろそろ回復の兆しが生まれてくるのかも知れない。 さて、どうだろう?

9月6日 大内延介九段を偲ぶ会~竹橋:如水会館

竹橋:如水会館に着いたのは会が始まる20分ほど前だった。 そのまま受付に向かうと、すでに一部開場されている部屋の中から、手を上げて合図を送ってくれる人物がいた。 エッ?誰だろう?と、目を凝らしてみると、何と駒師出石だった。ここしばらく連絡もしていなかったので、久し振りの再会だったが、時間の空白など少しも感じることはなく、この時代にそこにタバコ仲間がいてくれた心強さに安心感を覚えただけだった。 で、そのまま連れ立って3Fの喫煙デッキに向かい、一息ついて会場に戻ると、パテーションが開けられ献花の祭壇が飾られたその隣では、バイオリンとピアノの生演奏が始まっていた。 午後5時。「大内延介九段を偲ぶ会」が始まった。会場には、故人を偲ぶ150人ほどの人たちが集まっていた。 棋士で言えば、佐藤康光会長、西村九段、郷田九段らがいたし、勿論孫弟子の藤森五段、梶浦四段をも含めて大内一門は勢揃いしていた。 会が進めば進むほど、故大内九段の人となり、交友の広さが浮かび上がってくるように感じてならなかった。改めて価値ある人を失った無念が会場を包んだ。 5月5日のこどもの日、私は大内九段とお会いしたが、そのときの病にやつれた姿に、実は大きなショックを覚えていたのである。その半年前に会って、冗談を言い合った時とはまるで別人の姿だった。いつもの大内九段特有の精気が失われていた。だからこうなることは予感していたが、それでもまだ何度かは会えるはずだと信じようとしていたのだ。 しかし前立腺癌は、おそらく腰骨にまで骨転移し、その転移は肝臓に達してしまったのではないだろうか?同じ流れで身内を失ったことがあるので、医者ではない私でも想像はつく。 そう言えば、あのとき愛知・豊川の駒師清征が持参した2組の「怒涛流大内書」の彫り駒は、大内九段の遺品となってしまったが、それは鈴木大介九段が受け継いでくれたという。 その鈴木九段と、私と出石は会場で話をした。 「あの怒涛流大内書は、私がお願いして、一昼夜をかけて大内九段が書を仕上げ、この駒師出石が駒書体として完成させた言わば大内一門の宝物です。ぜひ鈴木九段にきちんと受け継いでいただきたいんです」 「そうですか。あの彫り駒もいい駒ですよね。先生の書体ですから大事にしなければいけませんね」 「出石は大内九段から依頼を受けて、すでに10数組

8月26日 落語協会特選「桂文生独演会」~池袋演芸場

  8月26日 午後6時から「桂文生独演会」が始まった。満席で通路にまで折りたたみ椅子が並び尽くした。 開口1番は、前座・一猿の「寿限無」。 次に、2番弟子文雀の「尼寺の怪」。 暑気払いにみんなが集まって怖い話をし合って、ゾクゾクとしないような話だったら、みんなにたらふくの酒をおごらなければならないことになった若い魚屋が、和尚さんからその昔の怖かった尼寺での話のネタを聞きつけて、これならいけるとみんなの前で披露して、結局はこけてしまう噺だ。 そして中入り前の文生最初の登場となる。 待ってましたとばかりに、客席の拍手の音が増し、「転宅」が、酒の噺やあまり飲めない小三治の話題を枕にして始まる。 以前に太夫だった妾宅に忍び込んだ間抜けな泥棒が、逆に妾となった太夫に財布の中身をからにされてしまうという噺。 下げに向かう頃には、文生の明るいフラのある顔が、間抜けな泥棒の顔と一緒になってしまう感覚になってくるのが不思議だ。 そして15分ほどの仲入り休憩。 1番弟子扇生の「千両みかん」。 真夏に、艶々しくしかもみずみずしく薫り高いみかんに恋して、ひどい恋煩いに堕ちた若旦那を助けようと、一肌脱いで真夏にみかんを探して奮闘する番頭の悪戦苦闘の噺だ。 ここまで話を聞き終えて、ふと私は思った。文生は、自然と顔全体の筋肉を使いこなして、あの飄々とした特有のフラのある表情を作っているのだと。 そう思うと、前座・一猿は、まだまだ少しも眼元の楽し気な表情を浮かべる余裕のないのが判るし、すでに相当の実力を備える文雀や扇生にしても、もしそのことに気づいて実行してみたなら、さらに色気や艶が漲ってくるのになと感じた。 文雀は眼尻の表情は使えているが、眼元の筋肉の表情をまだ使い切ってはいない。もうひとつ言うなら手先の説明がうるさい部分がある。力のある芸人だけに、ぜひともドーンと構えて欲しいものだ。 扇生は、江戸の端正な職人の風情を自然と持ち備えている。これは武器だ。この武器を生かす形で、時にメリハリのある大きな目の表情を効果的に作って間合いを図ったなら、観客はその端正な扇生自身とのギャップにより引き込まれていくだろう。 おそらく仲入りの間に、文生はなみなみと注がれたコップ酒を1・2杯豪快にあおったのではないか? そう思えてならないほど、文生の「一人酒盛」は名人芸に満ち溢

金魚を飼おう⑭~ランチュウの成長・1年を超えた‼

                      丸々太ったランチュウを飼い始めて、2回目の夏。 毎週の水替えと、ただエアを送るだけの簡易なフィルターのマット替えに追われた1年だった。 最初は外で飼い始めたが、朝昼の山の気温変化が大きく体調を狂わせもしたし、深夜にはタヌキやハクビシンらが闇に紛れていたずらをしにもきた。早朝にはカラスも不穏な動きで様子をうかがってもいた。いちど水槽にしていた大きめの盥桶が荒らされ、オランダ獅子頭の稚魚が何匹かは何故かどこかに失踪し、何匹かは死んでいたことがあって、その後は住処を室内に移したのである。 その後はほぼ順調に育ってくれた。そう、丸々と太って。 今月の初め、一匹に危機が訪れた。私自身が、ちょっと水替えをさぼって3,4日遅れたときに、頬に傷でもあってそこから黴菌が入ったのか、頬の肉が腐るように崩れ始めたのだ。 幸い、すぐに気づいて、即水替えをして、普段食用にしている塩(NaClの精製された食塩ではありません)を適量溶かし込んでやると、数日で治療完了して、ひと安心。 写真の頬の白い部分が、その傷跡である。       (左隣は、ランチュウではなくお気に入りのオランダ獅子頭だ) 危機を脱して、残った3匹のランチュウが、このままさらに大きく、さらに丸々と育つことを願いながら、今日も盥桶に餌をやっている。

2つの案内状(桂文生独演会と故大内九段を偲ぶ会)

もうずっと太陽の姿を見ていないような気がする。 照りつける陽光、透き通るような青い空にムクムクと聳え立つような白い入道雲。8月の夏の記憶は、私にはそれが全てであるのに、止まぬ雨故に湿気混じりの日々が続いている。 湿気は私の体調維持には大敵なのだが、どうしようもない。自然の力には為す術などないのだと、諦めの日々で、ただただじっと時の過ぎるのを待っておとなしくしている。「ひよっこ」と「やすらぎの里」と、「竜星戦」「銀河戦」に週末のGCの「競馬中継」をひたすら友にするような生活態度は、世間様からから見れば、実に非生産的な愚かしい姿に見えるのだろうが、身体がだるく、それでなくても冴えない頭も働かないような現状では、気だけ焦っても如何ともしがたいのだ。 そんな折、2つの案内状が届いた。 ひとつは、第1回桂文生独演会。8月26日午後6時開演の池袋演芸場。 78歳の文生が「一人酒盛り」と「転宅」のふたつの噺を演じ、助演は、弟子の桂扇生が「千両みかん」、桂文雀が「尼寺の怪」 をかける。 これはもはや、桂文生の遺言の様な高座になると思い、行くことに決めた。(いえ、勿論半分本気で半分はジョークですから) 興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ池袋演芸場でお会いしたいものである。(ちなみに当日券は2500円です) そう言えば、今は亡き大内九段が、桂文生の噺を国立演芸場で楽しんで、 「いやぁ、さすがでしたよ。文生師匠の噺は本物です」と、嬉しそうに眼を細めて言っていたのを想い出した。 もうひとつの案内状は、その「大内九段を偲ぶ会」の案内だった。 9月6日一ツ橋「如水会館」。 優しく、厳しく、人情には厚くも一言居士だった故大内九段の人となりに、ここ6年以上もの間身近に触れることになった私には、駆けつけても行かねばならぬ会だろう。明日にでも、出席のハガキを投函しようと思っている。 4五歩と指せば名人となっていた。1975年第34期名人戦第7局。しかし大内9段は読み切っていたのに、魔性の何かに取りつかれるように5手先に差すべき7一角と指してしまっていたのだ。名人位に限りなく近づき、ほぼ手中に収めた瞬間に、全てを失った大内九段。そのときの話を、大内九段自身の口から聞くことができたのも、今となっては私自身の大きな財産である・・・。 私自身が今こうしている間にも

荒川水系の鮎

最近(と言っても、21世紀になってからずっとなのだが)、過度な自己顕示欲、売らんが為なら奇妙奇天烈の受け狙い、周りの雰囲気をまるで感知できない鈍感さ、そして究極のミーファーストの輩があまりにもでかい態度で跋扈していて、文章を書く気があまり起きない。 で、じっとおとなしくしているのだが、湿度も温度も身体に粘りつくように高く、イライラ感が募るばかりで、何となく落ち着きが悪く、それならばと、塩分補給を兼ねて、あっさりとしたラーメンを近場の店に食べに行くようになった。 勿論、とんこつ醤油系ラーメンが昔から好みなのだが、イライラ感が増すほどに、あっさりとした所謂「シナソバ」系の鶏ガラ煮干し出汁のラーメンに何となくほのぼのとした心の温かみを覚えて、この味もなかなかだと思えるようになっている。 以前から通っているのは、「悦楽苑」。外見は普通の中華料理店だが、この店は、知る人が知る噂の店で、ライダーや釣り人らが中心となってブログやツイッターなどで噂は広まり、今やTV取材のクルーも訪ねてくるようになった。 店主の趣味も、バイクと釣りに時代劇で、その腕前は本物である。鮎釣りに向かうときは朝3時起きらしい。 まあ、この写真を見れば、噂が立つのも無理はないと知れるだろう。    圧倒的な量の味噌ラーメンだ。通りすがりに寄った腹を空かせたライダーたちが、余りの量に感激して、噂に火を着けたのである。 最初は何も知らずに入っていつものつもりで味噌ラーメンをオーダーしたのだが、この野菜の量にただただ苦笑いをするばかりで、汗を流して挑戦したが半分ほどしか食べられなかった。で、その後店に行ったときには、「ごく普通盛でお願いします」と、店主に頼み込んで今に至っている。何も知らずに味噌ラーメンを注文するお客がいると、さてどうなることやらと、ニヤニヤしながらお客の表情を見守ってしまうのは、私の人の悪さなのかも知れない。 私自身は、ここしばらくは好みになった普通の鶏ガラ煮干し出汁ラーメンを注文するので、今は、量の多さに冷や汗をかくことはない。 3日前の早朝6時過ぎのTVのニュースショーで、たまたまこの味噌ラーメンを見た。あれ、どこかで見た味噌ラーメンだと思ったら、やはり「悦楽苑」の味噌ラーメンだった。この山盛りラーメンを、確か三峰神社近くのロードレースに出場した

世相を妄想してみた

世の中、いろいろと騒がしく、アンフェアなことに憤ってみたり、暑さ故のまとわりつく汗のべたつきにイラついたり、厚化粧且つだて眼鏡の58歳のカン違いオバサンに呆れてみたりして、なかなか平穏な心で毎日を過ごすのは難しい。 で、ついでだからいろんな事を妄想してみた。 K学園問題。核心を守るための様々な都合の良い嘘が積み重なっているだけに、嘘をついた側の論理破綻は、今でももはやおかしさが露呈しているが、やがて決定的に明らかになるだろう。世の中には、それなりの良心や義侠心は存在しているものだし、それがすでに大きな固まりとなって不信の世論ともなっているのだから、もう誤魔化しや言い逃れはきかない。 この際だからK学園グループの系列大学を調べてみた。岡山理科大、倉敷芸術科学大、千葉科学大。らしい名前が付いているが、いずれも偏差値45ほどで合格できる大学らしい。偏差値45で千葉科学大は薬学部に入学できるが、国家試験に合格して薬剤師となれる人数は本当に少数で、2015年2月19日、文科省が発表した大学の新設学部、学科を対象に行った「設置計画履行状況等調査」では、「大学教育水準とは見受けられない」「学士課程に相応しい授業内容となるよう見直す」と、報告されている。 英語は、be動詞の活用や過去形あたりから、数学は百分率や分数の計算から教えてくれるそうだから、凄まじく丁寧なカリキュラムというか、あるいは大学の名に値しないカリキュラムというべきか、入学したこともないので、ちょっと判らない。 同じ系列となれば、岡山理科大にしても似たりよったりということだろう。(敢えて触れておくが、すでに通ってそれなりに頑張っている学生たちには、自身の夢の実現に向かって一層精進して欲しいと願うばかりだ。自分を磨くのは、誰でもない自分自身なのだから) そのグループが、国家戦略特区という大義のもとに今治に獣医学部を創設するという。所謂石破4条件を満たして、世界に通用する獣医学部が誕生するのだという。グループ系列大学がbe動詞の活用や分数の計算から大学で教える現状であるのに、岡山理科大獣医学部だけは、並み居る日本の獣医大学を凌いで世界最先端レベルの獣医学部を目指し、その水準にある獣医師を養成するのだという。ヘェーッと感心するしかないが、「駄馬は調教しても駄馬」と最後に書き遺した亡き父のメモを思わず想い起し

卒業アルバム

2年前に関東でも起こった線状降水帯発生による洪水被害はまだ記憶に新しいが、それが今年、北九州や岐阜県辺りでも起こった。 温暖化の影響なのか、地球規模での気象現象は、今大きく様相を変えているのだろう。治山治水のインフラ整備は、想像以上の変貌を遂げている状況に、過去の統計数値も役に立たず対処もできずにいるようだ。もはや頭を切り替えて発想しなければ、命も保証されない時代が到来しているのかも知れない・・・。 カラッとした暑さならまだ我慢も効くが、ムッとするような湿気混じりの暑さは、ただただ肉体から元気を奪っていくようだ。 何も手付かず状態で、それならばと断捨離の心で書棚の整理をしていて、一冊の卒業アルバムを見つけた。 高校の卒業アルバムだった。 ページを開けると最初に「江原記念講堂」の正面写真。続くページには、あのときの歴史的事件が写真の証言によって再現され、その後におよそ300名の同級生たちの顔写真が並んでいる。 改めて今、見直すと、このアルバムを作った製作委員会有志の気高い情熱や、このアルバムの存在自体を許容した学園側の度量の大きさや、流れる自由の精神を十分に感じ取れるというものだ。     1970年3月から始まった全学集会を経て、4月、突如として現れたY理事長代行(確か旅館業経営者で教育者の資格はなかったと記憶している)による、それまでの自由な精神風土を無視した暴政を(学園資産の独断的売却なども噂されてもいた)、全学集会などの学園正常化を訴える抗議活動を通しながら、翌71年11月に学園生によって遂に打倒したリベラルな抵抗運動の記録でもある。 71年10月から11月まで、理事長代行は学園をロックアウトして対抗した。学園に生徒を寄せつけない姿勢には、やはり教育者の姿勢はなかった。 11月15日夕刻、校庭で行われた全学集会はエスカレートし、集う生徒たちに追い詰められたY代行は逃げるように退陣を確約し、翌16日、生物の吉川涼新校長がY代行の退陣発表をして、ようやく事態は収束に向かったのである。 1年半以上も続いたY代行による力づくの強権的手法は、自由自主の(しかし選択した結果責任は自分自身が負うという厳粛な厳しさがあるのだが)精神風土にはいささかも根付かなかったのである。 多感な10代のときに体験したこの光景は、実に印象的だった。