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2月, 2017の投稿を表示しています

感想

                                                      (朝日新聞デジタル版より) 2月27日。午後1時過ぎ。 東京・千駄ヶ谷「日本将棋連盟」にて、正会員による臨時総会が始まった。 午後4時半過ぎに流れた「常務理事解任決議」の結果は、現職理事3名の解任、2名の信任というものだった。 午後5時10分頃からは、決議の結果を踏まえての会長記者会見が行われた。 NHKの「しぶ5時」に始まって、このニュースは、TVのみならず新聞各紙やネットメディアから全国に流されたのである。 多くの将棋ファンの義憤の心は、まだ将棋村に少しばかりの良心が残っていたことに安心感を得て、ホッとしたというのが実情だろう。 でも、これからのことを思えば、これはようやく始まった最初の1歩に過ぎないのだ。「そもそも何故?」といまだに多くの謎が解明されずにある竜王戦挑戦者交代劇が、5か月も経って、真相に近づく契機を得た。しかし、何を目指してどのようにするかは、まだ何も決まってはいない。正会員が一致して了承できる、速やかなルール作りや倫理規定の制定が成されなければ、同じような問題はいつかどこかで繰り返されるだろうからだ。 1票を有する正会員にとっては、今回の経験は大きなものだったろう。問題意識を集団で共有すれば、民主主義は独裁権力に勝てるし、主権者であれば逆に理事や会長であっても解任できる権力を持っていると確かめられたからである。 選ぶ自由と選ばれる自由、選ぶ責任と選ばれる責任の、「なあなあ」にすまさない緊張関係があるからこそ全体の組織が機能するのだ。その意味では、今回の臨時総会は、村の三役が偉そうに支配していた将棋村にとっては、権力構造を変える出来事であったと言うべきだろう。 もうひとつ、大きな教訓も得た。その場しのぎの「小さな嘘」が積み重なると、やがて時間が経てば「小さな嘘」をつく者はみごとに論理破綻に陥るということだ。方便は戦略があるが、その場しのぎの都合の良い嘘には戦略などないからである。 事ここに至っても、まだ徒党を組んで「小さな嘘」を重ねて塗りたくろうとしている「裸の王様」のような現役棋士もいるようだが、おそらく今回芽生えたこの新しい流れを見ると、遅かれ早かれ自分自身が「裸」であることを思い知らされるのだろう。 そのときは権力を振りかざした

2017フェブラリーS~2月19日東京ダート1600m

冬の終わりと春の訪れがせめぎ合っている。季節の変わり目で起きる季節どうしのファイトだ。 今年、私の住む山の中では、例年より雪は少なく積もったのは3度ほどで助かったが、今頃の日々変動する大きな気温差に、なかなか馴染めず、とにかく風邪やインフルエンザに油断ができずにいる。 それでも陽が沈む時間がだんだん遅くなっているのには、嬉しさが増す感じだ。 そんな日々で過ごす中、2017最初のG1フェブラリーSを迎えた。 これまでのダート実績馬や新興勢力がいつものように揃い、それなりのメンバーだった。つまりは、推理して自分なりの結論を得るのは難しいということになるのだが・・・。 ふと閃いたのは、前哨戦の1月29日の東京ダート1400mの根岸Sのゴール前のシーンだった。と言っても、最後方から追い込みを決めたカフジテイクを思い浮かべたのではない。2着のベストウォーリアを思い浮かべたのではない。直線の攻防に、出走馬たちの資質を感じて、本番で上位にからむなら、ここに出走していた馬だろうと感じたのだ。とにかく印象に残るレースだった。 本番を迎えて、何とか導き出した結論は、昔の名前で出ている実績馬よりも、この時点で調子がよさそうな馬を選ぼうということだった。ダート競馬でまだ底を見せてはいないM.デムーロ騎乗のゴールドドリームを中心に、根岸Sの上位馬を絡ませようと。 まあ、ここまではピュアな心持ちで冷静だった。 しかし、そう決めた瞬間から、心の底でムラムラと欲情する気分が頭を擡げてきたのだ。そう言えば、フェブラリーSは、これまで前哨戦から本番を連覇した馬は少なかったのではないかと。詳しく調べたわけではないが、どうもこれまでの何度も悔しさに駆られた経験からすると、そんな気がしてならなかった。 ならば、この眼で、この欲で、これからまだまだ走ってきそうな根岸S上位馬を選んでみようか。 もし1600mの距離に耐えたなら、横山典弘ニシケンモノノフ。もう1頭は3着だった岩田康誠エイシンバッケンでどうか? カフジテイクの言うならすざまじい追い込みは魅力だが、連発で決め打つのは相手もそれなりにマークして対処するだろうから、人気を考えると難しいだろう。ベストウォーリアも人気だし・・・。どうせなら人気薄とまだ見ぬ可能性で、ニシケンモノノフとエイシンバッケ

ささやかなる3回忌~「優駿」4代目編集長福田喜久男 (2014年の夏に)

3年前の夏、こんな日もあった。 今月の末、また中野で、故人をあの世から呼び寄せる飲み会が開かれる予定になっているので、つい想い起してしまった。            ☆       ☆                        (2014年 8月 了) 人の噂も75日という。人の記憶も3年も経てば薄れていく。 でも、人には忘れようにも忘れられない想い出があるのも事実だ。私の場合は、夏が来れば想い出す遥かな尾瀬のような、あの男の想い出である・・・。 「優駿」4代目編集長を務めた福田喜久男。2年前の8月4日にあちらへと旅立った。となれば、今年は3回忌である。亡くなったときには、独身で家族に恵まれてはいなかった。だから、公式に第3者の誰かが言い出さなかったら、このまま忘れ去られて終わったに違いなかった。 しかし、お盆が明けても、どこからも音沙汰はなく、私は、さてどうしたものかと何となく落ち着かなかった。ダービーの折りには、JRA関係者との間で「夏の頃にまた中野<廣>で会をやりましょう」などとの声もあったが、どうも立ち消えの気配だった。人それぞれに日々の生活があれば、過去の想い出などは日々薄れていくのも致し方ないのだろう。それが世間でもある。 でも、本当にそれでいいのかと考えて、せめて私だけでも、一滴の酒をもって献杯しようかと考えたのだ。場所はやはり中野<廣>しか考えられなかったが、若い頃に周囲から福田喜久男と一緒になったらと勧められた経験もあるママさんと、私だけでは、如何にも淋しい。長きに渡って福田喜久男と朋友だった横浜の湯川章に相談すると、「明日は聖路加病院の診察日だから東京に出るから、明日の夕方はどうだい?」との話になって、突然のことだから皆さんには連絡はせず、ささやかにこじんまりと献杯しようかと、すぐに話はまとまった。ママさんを含めて福田喜久男を知る3人の会となった。 夕方5時。店のカウンターに集った。福田喜久男のグラスも用意して都合4人分のグラスに並々と酒を注いだ。 このとき、私は飲み手が現れないグラスに向かって言った。「たまにはこっちに化けて出て来ないと忘れられちまいますよ」 湯川章が言った。「オレはさあ、毎朝仏壇に向かって死んだ女房やみんなの顔を想い出しているんだよ。みんなが笑っているのが不思議だね」

ペインクリニック~医師小沢みどりのこと

HOSPEX Japan 2015 HPより 1962年東大医学部麻酔科に、若杉文吉医師の手によって初めて創設されたのが、ペインクリニックという医療ジャンルだった。 ペインクリニックというのは、簡略に言うと、「肉体に痛みがある場合、局所麻酔薬によって必要な部位で神経回路をブロックして、神経レヴェルでの痛みの循環を断つことで、炎症を抑え血行を良くして、人間の自然治癒力を効果的に促進させようとする治療である」 レントゲン透視をしながら、麻酔剤を打ち、次に神経部位に達するように見るからに太く長い注射を施すから、一度でも効果を実感しないと思わず恐怖感すら抱いてしまう。施術後には、麻酔が効いているからベッド上で2,3時間は安静にする必要もある。 若杉医師は、その後関東逓信病院ペインクリニック科部長を経て、慈恵医大の教授に迎えられ、その教えは、新潟大医学部出身の慈恵医大教授湯田康正医師に継がれ、この二人が日本のペインクリニック治療の第1世代を担った。 東大医学部出身の小沢みどりは、この二人の先駆者から学んだ第2世代のトップ医師となり、慈恵医大から、小岩の病院を経て、本郷に自らのペインクリニック診療所を立ち上げ、毎日数十人の患者に精力的に治療を行っていた。 私自身も、小沢みどりが作家山野浩一のつれ合いとなってから運良く出会いを得て、言わば「患者としての追っかけ」を務めてもいたのである。第7胸椎の異常を手術してくれたのが、日本の整形外科学会に君臨する東大医学部出身で当時虎の門病院にいた立花新太郎医師であり、この立花医師がかつては同輩が経営していた小岩の病院で週末の土曜だけ診療を担当していたのだが、そこに小沢みどり自身もいた縁もあって、整形外科的治療を終えて以後、まだまだ様々な身体の異常に悩んでいた私を、ペインクリニック患者として引き受けてくれたのである。 筋肉の麻痺や痙攣、知覚異常・・・挙げればきりがないほどの症状を抱えた私に、今があるのも、14時間の外科的手術によって相当程度の改善を施してくれた立花医師と、それでも残った症状の緩和に努力してくれたのが小沢みどりだったということである。 その小沢みどりが、久々の休暇を取ってオーストラリア旅行をする寸前の10年前の夏、ひとり自分の診療所に向かう途中の吉祥寺駅で倒れたのである。このとき小沢みどりの脳には

そう言えば・・・

そう言えばと、ふと思い起こしたことがある。 あれは、昨年11月下旬のことだった。 たまたま一緒になった、とある棋界関係者に、すでに訝しい騒動となっていた竜王戦対局者交代劇について質問したのである。 「それにしても今何が起こっているんですか?」と。 そのとき私は、つい先日に指宿「白水館」で行われた竜王戦第4局のときのエピソードを聴いていたのだ。心ならずも挑戦者の役を引き受けた丸山九段が、うな重とチャーシュー5枚入りのラーメンを同時に昼食にしたあの第4局の対局のときである。 あのときどこかの酒席で、某連盟理事と某新聞将棋担当者が酔った勢いなのか人目につく口論となったこと。 また長年棋界に関わって来たその担当者は、配置換えで某新聞の将棋担当を外されたらしいこと。 私は、それほど詳しく内部情報を知る立場ではなかったので、そのときはまるで触角が働かず、 「まあ、経験で言えば、一人前の担当記者を育てるのには、それなりの時間と経験が必要なので、それはもったいないことですよねぇ・・・」 などと頓珍漢な答えをして、その背景にある重大性には少しも気づかなかった・・・。 今日2月13日は、三浦九段の復帰初戦である。 竜王戦1組の対羽生戦。4か月ぶりの対局の健闘を念じながら、ふとこんなやり取りがあったことを想い出してしまった。 自分自身のピント外れを恥ずかしむと共に、すでに第3者委員会が動き始めて何らかの結論を持つに至っていただろうこの時期には、ひょっとしたら加害者側のある種の内部分裂が始まっていたのだと考えると、偶然聞いてしまった「事の重大性」が改めて浮かび上がってくる。 何かを仕掛けた側にとっては、この第4局は運命を決めた「呪われた対局」だったのかも知れない・・・。

進展

将棋界のここしばらくの運命を決めようとする2月6日が過ぎた。 結果は、新会長に佐藤康光九段が、関西から井上慶太八段が常務理事に選出され、同時に千駄ヶ谷28士によるこれまでの常務理事解任決議案が請求され、改めて2月27日に正会員による臨時総会が開かれる運びとなった。 翌7日には、これまで公開の場所には姿を現していなかった三浦九段が将棋連盟を訪れ、晴れて記者会見を行ってこの4か月の心の内を語り、同時に同九段が特集された取材記事が、<「どうしても言いたいことがある」 三浦九段が初めて語った騒動の内幕>というタイトルでIRONNNA編集部によるネット記事として配信され、夕刻からは将棋連盟での記者会見の様子も映像で配信されもした。 深夜には、3か月も沈黙を保っていた渡辺明九段自身のブログさえも、新しく更新されもした。 三浦九段復活の進行が、2月13日の竜王戦1組の対羽生戦を前に、表向きにはいっきに加速し始めた様相である。新会長の意向が反映されたのだろう。 記者会見では、許せない相手として、K観戦記者の名が三浦九段の口から名指しで上げられもした。実は数年前に私は、神楽坂でK記者と一夜の酒席を共にしたことがある。そのときの印象では、ある種の熱情と正義感を持って、きちんと仕事をしようとする意志がみられ、私自身は後ろめたさを隠した書き手とは、少しも思えなかった。だからその後は、タイトル戦の中継などで、彼の風貌を見る度に、励んで観戦記者の道を突き進んでいるのだなと感心していたのだった。その彼が「黒幕」として名指しされるとは、意外という以外にないのだが・・・。 昨年の夏から彼に何が起こっていたのかは、部外者である私には知る由もないが、初対面の印象と今回の名指し批判との落差には、何かもどかしいショックを受けたのも事実である。 まだまだ真相を知るには、今少し慎重に事態を見守るべきなのかも知れない。 桜の咲く頃には・・という心境だ。 それにしても・・・・。

憶測

もう2月6日の臨時総会の結論を待って、棋士たちの良心を見守るしかないないと思い、この話題には触れないと決めていたのだが、たまたま羽生夫人の一途な意志が書き込まれたツィートが為されたことを知って、思わず読んでしまった。 私が改めて関心を持ったのは、10月10日の某理事邸で行われた謀議、11日の三浦九段への査問(聞き取り)、12日の休場届不提出を理由としての挑戦資格者のタイトル戦出場停止処分に至る強引なまでの事態進行プロセスだった。 何故、関わる多くの関係者に様々な調整が必要な事項が、これほど迅速に進行し、三浦九段以外の登場人物が、それぞれの役割を見事に演じ切ることができたのか?それが、誠実な訴えでもあった夫人のツィートから得た率直な感想だった。 まるでTVの安手の2時間ドラマのような粗いストーリー構成から浮かび上がるのは、すでにそれ以前の時点で、挑戦者交代を推し進めた何人かの登場人物たちと、タイトル戦のスポンサーサイドとの間で、何らかの結論が企図されていたのだと考えると、全てが符合する形で納得できることに思い当たった。 この事前の談合があればこそ、何人かの主要な登場人物たちは、その目的に向かって、明確にそれぞれの役割を演じ切ったのではないだろうか?悪質だったのは、その本当の目的や結論を知らされることがなかった人物は、たとえかつて最高位にあった実力者であったとしても、その実績を利用される駒でしかなかったのだろう。 あくまでも憶測でしかないが、2時間ドラマ風に考えると、目的を達したなら、或いはある者は、「次期会長職が待ってるよ」とか、将棋ソフトの効用を知る、感情を高ぶらせていたある者は「これからも棋界最高位の地位は君のものだ。我々は応援するよ」とか、耳元で囁かれていたのかも知れない。賞金額最高位であったとしても、将棋界の根幹を成す順位戦制度を乗り越えられないスポンサーサイドの忸怩たる思いも反映されたのかも知れない。 もしそうなら、みな必死に役割を全うしただろうし、事ここに至っても真相が明らかにされない理由も理解できるというものだ。第3者委員会の調査によって「疑惑はなかった」と断定された三浦九段は、このとき、ヒーロー役を任された人物たちの感情の高揚によって、やはりスケープゴードにされたのだろう。哀しい2時間ドラマの結末だった・・・。 今、この騒動