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3月, 2017の投稿を表示しています

2017高松宮記念~中京・芝1200m

春の雪に見舞われた3月27日、午後にGCを観ると中京は小雨まじりの光景だった。 湿った馬場は稍重。見るからに力で押し切る馬に有利な印象だ。 ここで私は、高速馬場で瞬発力を示して成績を積み上げてきたソルヴェイグやメラグラーナには不利だと感じた。切れる牝馬だから、たとえ人気があったとしても、余計にそうだと判断した。 出馬表を眺めて、上り馬なら休養明け初戦以外2着以下になったことがないセイウンコウセイかなと思ったが、昨年11月27日から連勝して、初重賞挑戦となったシルクロードSでも2着を確保させていた主戦騎手の38歳松田大作が、シルクロードSの直後の2月2日に免停中のスピード違反(無免許運転となる)で京都府警に検挙される不祥事で、その結果JRA裁定委員会の結論が出るまで騎乗停止処分を受けていたことを考えると、ツキがないのではないのかなと勝手に深読みしてしまったのだ。 ここ2年ほど、その騎乗にようやく芯が入ってきたのかなと感じられた松田大作だったが、4年前に2歳の実娘を交通事故で失くしているのに、こんな道路交通法違反を犯してしまった。残念な気の弛みとしか言えない。 しかし結果からすると、その代打騎乗の一発勝負を担った幸英明は、さすが牝馬クラシック3冠騎手と称えられるべきスキのない騎乗を示したのである。湿った力のいる馬場が得意であったことも幸いしたが、そんな馬場で上り33秒8の脚力で好位から差し切った騎乗は、観る者を唸らせる「芸」とさえ言いきれた。 直線で好位から外に抜け出し、ゴール前の坂から次第にインに切れ込んで馬の脚力を、さらにもうひとつ伸ばす勝負の芸当。それは、谷一門の騎手だった田島良保から田原成貴そして谷八郎最後の弟子である幸英明へと伝わる必殺技だと言えるのかも知れない。その昔、セイウンコウセイのオーナー西山茂行の父の所有馬だったニシノライデン(ミホシンザンが勝った’86年春天皇賞でハナ差に迫ったが斜行により失格)の取材の折に田原成貴は言った。「馬はね、斜めに走らせた方がより伸びるんですよ、鶴木さん」 でもそれら一切は、結果が出て判ることだ。気にはなったが流れが悪いと判断して見切ってしまった私は、力のいる湿った馬場をTV画面から眺めながら、力は格だ。格なら、今回は、岩田康誠レッツゴードンキとM.デムーロのレッドファル

いやはや、春の雪

昨夜、午前0時を過ぎた頃に、GC(グリーンチャンネル)のライブでドバイワールドCデイを見始めた。 UAEダービーでルメール騎乗のエピカリスが、ゴール直前に差し切られて惜しまれる2着だったのは、録画中継だったが、ドバイターフ(芝1800m)から、ドバイシーマクラシック(芝2410m)、1着賞金600万US$のドバイワールドC(ダート2000m)まで、馬券は買わなかったが楽しんで、アッという間に時間が過ぎていった。 ドバイターフは、モレイラ騎乗の日本の4歳牝馬ヴィブロス(去年の秋華賞馬だ)が、外から差し切って勝利した。後方に控えて直線でアウトに導き外から差し切ったのだから、モレイラの自在な騎乗は特筆ものだった。 だが何といっても圧巻だったのは、ドバイワールドCのマイク・スミス騎乗のアロゲート。スタートで出遅れて最後方。そこから終わってみれば圧勝なのだから、馬の強さは圧倒的だった。このレースには日本馬4頭が出走していたが、辛うじて武豊騎乗のアウォーディーが5着となったのが精一杯で、世界の壁の厚さを再認識する結末だった。 午前2時前に横になって、今度は以前に録画しておいた銀河戦の真田vs青島戦を眺めながらウトウトし始めて、ついにはそのまま寝入ってしまった。 で、朝目覚めて外を見ると、何と3月後半の春の雪。山は一面の雪景色で、白い化粧をしていた。 いやはや、何としたことか、予想もしていなかっただけに言葉も出なかった。 昨日とはうって変わって寒さを感じるが、風邪に気をつけて、午後3時40分の中京・高松宮記念を観守ることにしよう。 それにしても、まだドバイの興奮が冷めやらぬから、何となく変な気分なのだが・・・。

春・花いっぱいの始まり

啓蟄の日を過ぎると、春の足音が加速してくるようだ。 今朝、庭に出ると、水仙がもう蕾を膨らませていた。 水仙はたいしたものだと、この季節になるといつも感じ入る。私などは、ものぐさで普段から手入れなどはしていないのだが、地中でしっかりと根を張って、毎年決まって花を咲かせてくれるのだ。近くには、小さな子孫まで増やして、それはもう花を開かせてもいた。                                                         標高550m(スカイツリーのてっぺん辺りか)の山暮らしは、まず、この水仙の開花から、冬眠から目覚めた蛙の産卵、平地より遅れて梅が花開き、すぐに桜へと続いて春の盛りを迎えて行く。外の景色は、緑一色に向かって、まだそれほど気温は高くはなっていないのに、確実に変化(ヘンゲ)しているのだ。ワンダフル‼というしかない。 外とは違い、居間はさほどに季節感はないのが不思議だ。 というのは、 生育環境がたまたま適しているのか、こんな花たちが1年中(冬の間さえも)咲き続けているからだ。こんなこともある。ならば、ミツバチの巣箱でも置いて蜂蜜でもと考えるが、まだ実行には至ってはいない。 昨年秋に300円ほどで購入したシクラメンも。少し大きめの鉢に植え替えてみたら、元気いっぱいで成長している。もう4か月花を咲かし続けている。   そろそろ私も冬眠状態から醒めなけりゃなと思い始めた今朝早く、オンデマンドで「藤井聡太・炎の7番勝負」の初戦、対増田康宏4段(若手の注目株的存在である)戦を好奇心で見てみたが、なるほどと感嘆させられる97玉から、数手後には1筋からの読み切りの寄せ。容赦のない勝負の切れ味を見せつけてくれた。噂通りの新しい才能を実感させられた心地よい衝撃に、寒さに怠けた冬眠気分も、いっきにどこかへ飛んで行ったようだ。 囲碁の大西龍平と将棋の藤井聡太。やはり大きく育って、絶えず花咲き誇らせて欲しい逸材である。

さわやかな才能~囲碁・大西龍平2段

いつのときも新しい才能が、新しい感性を伴って出現する瞬間は楽しいものです。 最近、囲碁・将棋チャンネル「竜星戦」を見ていて、まだ17歳の大西龍平2段の囲碁にそれを感じました。 資料によれば、2000年3月14日生まれで、まもなく17歳。12歳で文部科学大臣杯少年少女全国大会に優勝し、中1のとき院生となり、2015年に入段。2年目の昨年、16歳6か月で第41期新人王戦を制覇しました。 小5のときから2年余り韓国で武者修行をした強者です。 彼の打つ碁のどこに魅かれたかというと、その指し手が不思議なほど観る者の「知性」に訴えかけてくるのです。それは、17歳を目前とする若い大西龍平が囲碁に持ち込んだ新しい感性ではないでしょうか。 過去には、武宮正樹9段の「宇宙流」に象徴されるように、確かな世界レヴェルの感覚を持ち込んだ偉大な才能がありました。 勿論、現在の頂点にある井山9段の深い読みに裏付けられた硬質な囲碁(おそらく山下・河野臨らの碁も同じ土俵にあるのでしょう)が主流派なのでしょうが、大西龍平にはそこにしなやかな柔らかさを感じます。それが彼の特徴になっていると、私には思えてならないのです。 知に響く囲碁。それが面白くて、ここ最近「竜星戦」の大西龍平に注目して追っかけをやっています。 その意味で、将棋界にも現れた若き新星・藤井聡太4段にも、その感性の在処に早く触れ合ってみたいものです。来季の順位戦が始まれば、その本当の価値も明らかになるでしょう。新しい才能を大きく伸ばすには、浄化された環境を大人たちが用意する必要があるでしょうが・・・。 現在、大西龍平ら囲碁の若手たちの台頭が目につくのは、伸ばすだけの土壌と進取の心に満ちた環境があるのかも知れません。

金魚を飼おう⑨~ランチュウの成長・8か月目に突入

ミレニアムを迎えたとき、希望の新世紀を楽観的に信じていたのが、愚かしくも懐かしい。 ここのところ日々、滅びの終着点に向かって突き進んでいるような世相に怖ろし気な印象を持たざるを得ない。 安保法制成立から今は共謀罪という新治安維持法の画策の段階に至り、知らず知らずのうちに憲法改正すら射程圏に入っている。 挙句の果てに、現代日本版ヒトラーユーゲントとも言うべきM学園の存在も、金銭スキャンダルがらみで明らかになった。まだ判断力もない幼稚園児が帝国憲法下の法制である「教育勅語」を懸命に暗唱する教育手法に、これがかつて首相の語り掛けた「美しい国」の本質なのかと思うと、薄気味悪さしか覚えようもない。ならば待っているのは、次の東京五輪は、かの1936年ベルリン五輪の再来となってしまうのだろうか。 それにもまして薄気味悪いのは、本来「思想」というのは理念であるはずなのに、某日本会議の幹部が運営するM学園の手法が、「思想」の名を借りたヘイトと政治人脈頼りの邪ビジネスという腐臭が漂っていることである。それは、現憲法が目指した人権尊重のフェアな社会からすると、真逆のアンフェアさであり、庶民の義憤を駆り立てるものだというしかない。残念なことだ。 ファーストレディが支援者であり、つい最近まで寄付をも呼びかける名誉校長だったという。事態が表面化して、HPの記載が閉じられたと聞くが、公人としての存在を踏まえると、まるで漫画の世界だ。当初から、偉大な人「安倍晋三記念小学校」というプラニングさえあったともいう。それを、提案した側もそうだが、受け入れた側の節度の無さや厚かましさには、もはや呆れて言葉もない。 それにしても、日常の生活に追われる中で、いつの間にか築かれてしまった格差と忠誠が強要される社会の息苦しさは、今を苦しむ子供たちや、大きなチャレンジの可能性を閉ざされる多くの若者や、家族を営むこともできない独身の中年層のことを思うと、結果的には国力低下にならざるを得ないと確信するのだが・・・・。 こんなことを考えても、山の狭間の片隅で暮らす私では、文句にもならぬ単なる愚痴でしかないのは充分に判ってはいるのだ・・・。 嘆かわしさに涙も枯れてしまった。 で、追い詰められるように、ランチュウ飼育で気分をまぎらわしている。 飼い始めて8か月目に突入。

久し振りの中野「廣」の会

2月は、とにかく風邪をひかないように(脊髄を病んで以来、いちど患うと尾を引いて大変なことになるのは判っている)、ひたすら静かに、おとなしく、こっそりと過ごしていた。 そんな暮らしでも、例えばこの時期に最高においしくなるほうれん草を食して楽しんだり、毎朝決まって訪ねてくるヒヨドリや小鳥たちに食パンをやったりして、何とか時の過ぎるのを待っていたということだ。 でも昨2月28日夜、久し振りに中野「廣」の会が催されることになり、午後から東京に出た。 池袋から高田馬場、東西線に乗り換えて2つ目の駅が中野である。新宿周りではなく、このルートなら意外に近いのだ。 会は6時から。いつものように2Fのソファールームのテーブルには、ママさん手作りの各種大皿料理が並び、生ビールから日本酒、焼酎まで飲み放題。優駿4代目編集長だった故福田喜久男を知る競馬会OBや、現「優駿」担当責任者のYさんまで、それにいつもの優駿招待メンバーが揃って、合計10人ほどの会となった。出世の階段を昇るTさんも私用が早くに終わって駆けつけてくれた。 それからのことは、話すまでもない。和気あいあいの雰囲気の中で、互いの会話も酒量も弾み、皆が赤ら顔で楽しく過ごした。 ついでに次は7月下旬に開催と性懲りもなく話が決まった8時45分ごろ、私は池袋発9時半のレッドアローに乗るために後ろ髪を引かれるようにひとり先に店を出た。10時半のレッドアローでも帰り着くのだが、これは直通ではなく飯能止まりで、そこから各駅に乗り換えねばならず、念のため風邪をひかないように自制心を発揮せざるを得なかったのだ。 まあ、しょうがない。この季節、朝まで東京の裏町を放蕩する元気もないし、2日前の中山記念ではデムーロ・ネオリアリズムではなくルメール・アンビシャスから流して余分な小遣いも失くしていたのだから。フェブラリーSをデムーロが勝ったのだから、今度はルメールの番だと思い込んだのが失敗だった。せっかくアンビシャスに乗らない横山典には少しだけ着目していたのだが、それも後の祭りで・・・。でも、美味しい雰囲気と料理だったからヤケ酒ではありませんでした、ハイ。 11時には家に帰り着いて、改めて皆さんの楽しい笑顔を想い出しながら、ベッドに入ったが、何故かなかなか寝付けなかったのは、どうしてなのかは判らない。判らないから考えていると、余計