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5月, 2017の投稿を表示しています

2017 日本ダービー制覇・東京芝2400m~強力な逃げ馬不在のスローペース

何とか私自身の出走体制を整えて、東京競馬場には11時過ぎに着いた。 府中本町駅構内から、スタンド32番柱近くの受付まで、場内外はやはりダービーの日だからか混み合っていて、人混みをさばくのにもストレスを感じるほどだった。 何とか受付を済ませて、ダービールームへ。14号室は「ワンアンドオンリー」室だった。そう言えば、今日の最終レースにワンアンドオンリーご本尊は、久々に鞍上に横山典弘を得て出走予定である。 喫煙室でひと呼吸整えてから部屋に入ると、いつもの知った顔が勤勉にもすでに専門紙を広げていた。10Rのダービーまではおとなしくしていようと決めていたので、挨拶だけ交わして私はゆっくりとお茶を飲みながらテーブル席に座っていた。 そう決めたのも時間をかけて、ダービーの流れと展開を考えようとしていたからだった。 狙いの推理は、決まっていたが(皐月賞のときに記した馬たちだ)、最終追い切りを見てからも、皐月賞を速いペースで逃げたアダムバローズのような存在が、どう考えても見当たらず、だとすると最近流行の緩い流れから、ホームストレッチでのヨーイドン!という単調な勝負になってしまうとしか思えなかったのだ。 とすれば、中団より後方のポジションの馬たちには勝利の出番はないということになる。 じっとそのときを待つ間に、何度も出走馬表を眺めたが、良馬場のダービーは、皐月賞とはまるで違うレースになるだろうとしか考えつかなかった。 8R。1000万条件(2勝馬)の特別戦青嵐賞。ダービーと同じ芝2400mである。前半5F61秒で流れ、決着タイムは2分23秒8。2勝馬の特別戦としては、それなりのタイムが計時された。となれば、3歳の頂点のG1戦なら、通常ならこの決着タイムを下回ることはないだろう。しかし逃げ馬が見当たらないのは確かだった。 もうひとつ予感を得たことがある。レースレコードが生まれた皐月賞の上位馬は、眼に見えない疲労消耗をしているのではないかということだった。走り過ぎた後には、生き物である以上疲労によるコンディション低下は避けられない。化け物なら別だが・・・。2002年1分58秒5という当時驚異的なレースレコードで皐月賞を勝ったノーリーズン(ドイル騎乗)が、ダービーでタニノギムレットに8着に惨敗した記憶が鮮やかに甦ってもきた。たぶん今年の皐

2017 オ-クス・東京芝2400m~やっぱり強かったソウルスターリング

(絵:ノグチアキラ) 5月20日土曜。午前中に金魚の水替えをして、ひと汗かいたところで関西風の薄口醤油味のきつね蕎麦を作って楽しみ、2時過ぎからは京都の重賞平安Sを見た。 いろんなことをしながらも、さて明日のオークスは?という命題を頭の中で巡らせていたから、平安Sで体力を消耗するのは避けようと、直感で閃いた枠連2-5-8の3点ボックスでいいかと決めて、GCのTV画面を眺めていたら、5枠川田グレイトパールと2枠武豊クリソライトで決まり、枠連でも15倍の配当でひと安心。4歳牡馬グレイトパールはダート界の新星とも言える走りを見せてくれた。 さて、この間私は何度もオークスの出馬表を見続けていたのである。 ここ数戦のG1戦を見ていると、はっきりとした主張を持つ逃げ馬がいるかいないかで、レースの様相は極端に変わっていた。相応の力を持つ逃げ馬がいればレースは流れるが、逃げ馬不在の場合にはスローペースから残り4Fのヨーイドンのレースになっている。 では、このオークスでどの馬が逃げて流れを作るのか?と考えると、どう考えても判らないのだ。好位を守りたい馬は多くいるが、明確な逃げ馬がいない。 ここ一発の攪乱戦法を狙って先頭に立つ馬が現れるだろうが、しかしペースは上がらないはずだ。結局、先行馬群がひと固まりになって4コーナーを廻り、そこからは早めの直線勝負になるだろう。折り合って、ヨーイドンと瞬発力を発揮する馬が勝ち負けの勝負をするはずだ。たぶん中団より後ろのポジションの馬たちには、勝ち抜くチャンスはない。 このように考えると、折り合いに心配がなく、鋭い末脚を発揮するルメール・ソウルスターリングが、明日東京の良馬場で桜花賞のような敗戦(3着)を再び演ずるとは思えなかった。 桜花賞は明らかに馬場の悪いコンディションだった。おそらくここでソウルスターリングに勝ち負けを挑んだ馬たちは、何らかの疲労残りもあるだろう。ベストの状態が桜花賞だったとすれば、その体調のベクトルは下さがりになっていても不思議はない。 同時に、桜花賞を目標にして、ここまでマイル戦以下の距離を使ってきた馬も推理から除外してもいいだろう。3歳牝馬の東京の2400mという距離の克服は、その場しのぎではできない壁があるはずだ。 となれば、今年の2着候補は、桜花賞組ではない

祝7000勝~大井・騎手的場文男

(絵:ノグチアキラ) 昨日17日、大井の60歳還暦騎手的場文男が、川崎の重賞<川崎マイラーズ>を勝利し、障害通算7000勝を達成したというニュースが流れた。 1973年のデビューから45年目、およそ半世紀を費やして積み重ねた記録である。 ちなみにJRA騎手武豊は、1987年のデビューから31年目となる現在(5月14日まで)のJRA通算勝利数は3893勝だ。週2日のJRA開催と比べて、騎乗機会が多い南関東公営であったとしても、生涯かけての7000勝の価値は重過ぎるほど重い。 大井では7不思議の一つに、まだ的場文男が<東京ダービー>を勝っていないことがあるという。2着は9回もあるのだが、7000勝騎手が大井のダービーを何故か勝ってはいないのだという。勝てるだけの馬、確勝と噂された馬に騎乗するチャンスは2着のとき以外にもあったのだが、ダービーまでに故障などを発症して出走もかなわなかったのである。でも、生涯で見果てぬものがあるという飢餓感が、的場文男の騎手人生を延ばす原動力となったと言えなくもないのではないか? 私自身が、的場文男を身近に感じたのは、1993年だった。 秋、中山オールカマー。絞りに絞って、私は、逃げる中舘英二ツィンターボから的場文男が乗るハシルショウグンへの1点勝負に賭けたのである。 このとき3/4馬身差の3着が単勝1.8倍の1番人気的場均ライスシャワー、3着が柴田政人ホワイトストーン、5着が角田晃一シスタートウショウ・・・。今から思っても強いメンバーが揃っていて、迷ったなら推理が迷路にはまる様相で、ここは負けても納得とファンの心意気を保つしかなかったのだ。 直線、5馬身ほどの差をつけて高速の逃亡を図るツィンターボをめがけて、的場文男はハシルショウグンヲを追った。中央のG1馬相手に怯まなかった。そして2着を確保してくれた。確か、この2頭の組み合わせは50倍を超えていたという記憶がある。 的場文男のしぶとい騎乗は鮮烈に私の中に刻まれた。 まだ続きがある。この年の暮れ、年末進行の原稿を無事入稿して一息ついていた29日、私は、編集長らから大井の東京大賞典に行こうと誘われたのだった。同行者の顔が効いてゴンドラ席で観戦できる幸運な機会だった。3日前の26日、有馬記念で田原成貴トウカイテイオーの

2017 ヴィクトリアマイル・東京芝1600m~まさか、まさか、まさかは続くよ、どこまでも

このメンバーなら、現在牝馬のトップレヴェルにあるミッキークイーンがまさか2着をも外す結果になるとは思いもよらなかった。 ミッキークイーンから、おばさん熟女となった7歳のスマートレイアーと、どうも本質的にマイラーではないようなルージュバックを外し、ソルヴェイグも府中向きではないと見極めると、これからの伸びしろが期待できる4歳のジュールポレールとアドマイヤリード、5歳なら格でクイーンズリングとレッツゴードンキを選べば推理は完璧と信じて疑わなかったのだ。 1年半も前に田辺裕信が騎乗して府中マイルの2歳戦アルテミスSを後方から豪快に差し切ったデンコウアンジュの記憶はあった(負かしたのはメジャーエンブレムだった)が、それから一度も連に絡んだこともない現状と、最盛期からすると勢いを失っている印象の蛯名正義の騎乗では、購入意欲はそそられ無かった。 結果、私の私自身への近未来への予言は、巷の怪しげな占い師のように、全て外れて無に帰すことになった。 レッツゴードンキはスタート直後から引っかかって折り合いを失くし、ここのところの好成績を支えた直線イン攻撃からの差し脚を失い、ミッキークイーンは有馬記念5着から休養明けの道悪での阪神牝馬S勝利からの二走ボケとしか言いようがない凡走。デンコウアンジュ(2着)に外から完全に封じ込められる不様さをみせてしまった。デムーロ・クイーンズリング(6着)にいたっては馬群の中で私にはどこにいたのか一瞬判らないほどだった。 せっかく、ルメール・アドマイヤリードが1着、幸英明ジュールポレールが3着に好走してくれたのに、肝心要の浜中俊ミッキークイーンが、まさかここまで走らないとは・・・。どうしようもない。 何故と考えるなら、雨の影響を引きずった馬場なのか、レース全体の流れが前半5F60秒1のスローから、最後3Fが11秒1、10秒8、11秒9の33秒8という極端な流れになった所為なのだろう。 良馬場だった1週前のNHKマイルCが、前半5F57秒8、上り3Fが34秒4であったのと比べれば、古馬牝馬によるヴィクトリアマイルの流れが異様だったことは明らかだ。しかし出馬表から、競馬ファンがこの流れまでもを推理するのは困難だろう。唯一ヒントがあったとすれば、典型的な逃げ馬がいなかったレースだったということである。恥ずか

2017 NHKマイルC~東京芝1600m 横山典弘・49歳の凄腕

月曜の午後から、急に体調を崩し、一晩我慢していたがどうにもならず、昨日は月に一度は必ず通っている主治医のもとに駆けつける状態になってしまった。病名は記さないが、かつて手術を受けた個所のひとつに(生まれてからこれまで私は6回身体にメスを入れている)、明らかに再発の症状が出てしまったのである。 適切な投薬を施し、おそらく1週間ほど様子を見ればいまの症状は治まってくるだろうとの診察だったが、ちょっと我慢しなければならない痛みがあるので、精神的にはきつい。「安静にして、疲れやストレスを避けましょうね」と言われたが、そういうことなら、はっきりとした原因には心あたりがないわけではない。 日曜の夕方から、私は大きな失意と落胆に見舞われていたからだ。網の中に仕留めた黄金の魚を、引き上げる寸前に自分で網を裏返しにして逃がしてしまった漁師の心境、初めてのキスに燃え上がる気持ちで顔を近づけ合ったそのときハックション!とクシャミをしてしまった惨めなほどのいたたまれなさ・・・。こんなとき絶望的な疲労感やストレスを感じ取らなかったら人間ではないだろう・・・。 NHKマイルCを迎えた先週末。いつものように録画しておいたGCの「今週の調教」を確かめて、自分なりのチェックを終えると、私は重要なヒントを掴んだ喜びにほくそ笑んでいた。 リエロテソーロの最終追い切りを見て、心が騒いだのである。 古馬オープン馬ラルーズリッキーと併せた追い切りで、騎乗者吉田隼人はゴール板を過ぎても手綱を緩めずそこから1Fほどびっしりと追い切ったのだった。この調教手法は、馬の状態把握を具体的にできる騎乗者の判断に任せきった勝負がかりの追い切りと言える。古い話だが、かつてミホノブルボンの3冠を阻止したライスシャワーに乗った的場均(現調教師)が、ここぞというときに見せた追い切りの必殺技だったのを憶えている。それを今回、吉田隼人がやってのけたのである。勝負に対する意欲と意志が漲っていた。 リエノテソーロは、昨夏洋芝の札幌競馬場で2連勝。その後地方の門別、川崎でダート戦を2連勝して3か月休養。復帰戦の3月アネモネSで0秒2差の4着でNHKマイルCに挑もうとしていた。まだ本当の実力を大きな芝のレースでは現していない状態で、デビューから4連勝した馬なのに、言わば盲点となって人気も期待も上がってはいなか

金魚を飼おう⑪~ランチュウの成長・10か月目

  今朝、連休明けの水替え作業のついでに、金魚たちの写真を撮った。 確実に成長して、ドスーンと腹回りに貫録を見せ始めている。昨年秋から、室内の水盥を使用して真ん中にシンプルな濾過装置を置くだけで、餌やりの他は水替えのときにマットの交換するだけの世話しかしていないのだが、かえってそれがいいのかも知れない。 水盥を覗くたびに、おお、立派、立派と、声を掛けている。 サラブレッドは鍛えられた筋肉質の肉体を誇るが、家の金魚たちは優美な脂肪を誇っているのである。成人病には要注意レヴェルだろうが、それを金魚に説いてもわれ関せずだろう。まあ、しっかり食べて元気でいてくれよと願うばかりだ。 これから日を追って暑くなるから、室内では水温対策も必要になるだろうが、そのときなったらまた考えるつもりでいる。 外のメダカたちより手がかかるのは覚悟の上だ。今の時代、わずかな癒しを求めるのも、お金以外の善意の労働や、知恵を使った創意工夫など、何かとコストがかかるものと理解している。     

5月5日こどもの日、大内9段と。at kagurazaka

5月5日こどもの日。 山を下りると、町なかには朝早くからどこから集うのか観光客が溢れていた。さほど広くはない道々では12月の夜祭り以外にはあり得ないほどの車が渋滞模様になっている。都内近郊から荒川の上流に、美味しい空気や花々に溢れる景色や清流の景観を身近に楽しむには、さほど遠くはないからいつもこの季節は賑わうのだ。でも観光に無関係な生活者とすると、うっとおしい渋滞でもある。 そんな中、私は観光客らとは敢えて逆方向に、東京神楽坂に向かった。 昼過ぎに、確かJC以来久し振りに大内9段と会ったのである。 前夜から少し体調を崩されていて、あまり食欲もない体調だったのに、それでも以前からの約束を守っていただいて、ありがたく好意に甘えてしまった次第だ。 それでも、いざ話し始めると、いつもの江戸っ子気質の大内9段だったのでひと安心。 その後約2時間。いろんな話をした。 私の同行者は私以外に一人。まあ、謎の人物としておこう。その彼に参考資料として預け放しにしておいた初代竹風作の彫り駒が、久し振りに戻って来た。ついでに盛り上げ駒しか作ってはいない作者の「大内怒涛流」の彫り駒の根付と、駒師蜂須賀作(これも以前にご本人から送っていただいたものだ)の「菱湖」雛駒サイズの玉将の根付も戻ってきた。久し振りに手元に戻ってきた蜂須賀作の根付を改めて見直すと、「彫りの蜂須賀」がこだわる字母世界が浮き上がってくる。流れるような線の勢い。ときに細く、時には大胆に太く。筆のタメと撥ねの勢いが、小さな根付であっても伝わってくる。この字母には、木地師杉亨治が所有する傑作の影水「菱湖」を土台にして「彫りの蜂須賀」が彼流に施した手法が込められている。現時点で人気も高い完成した字母ともいえるのだ。完成するまでのプロセスでは、おそらく書に詳しい駒師荒川晃石も参加していたのではないだろうか。 ともあれアイスコーヒーを飲み、タバコを吸いながらの楽しい2時間。 将棋界にまつわる話題では、大内9段は言った。 「いや、これからはちゃんとマネージメントできる外部の方のお力を借りなければいけません。外部の方たちと親交がある理事でなければ、そんなお力を借りることもできません」 御蔵島の黄楊も話題となった。 「いやその昔に大山先生に御蔵島に行こうと誘われたんですよ。でも行

2017 春・天皇賞~京都・芝3200m 強烈なる3分12秒5!!

3分14秒4。1997年春、田原成貴マヤノトップガンが、横山典弘サクラローレル、武豊マーベラスサンデーとの3強の闘いの中で計時したレコードタイムである。この記録は、当時しばらくの間は破られない驚異的なタイムと信じられていた。最後の直線で爆発させたマヤノトップガンのいっきの差し脚は不敵の凄味に溢れていた。 3分13秒4。2006年春、「空駆ける馬」と称えられた武豊ディープインパクトが上り33秒5の余裕の力を見せつけて、新しいレコードタイムを更新した。このとき3馬身半差の2着に健闘した横山典弘リンカーンも3着馬に5馬身の差をつけて従来の記録を上回ったが、如何せん闘った相手が悪過ぎたというしかなかった。 3分12秒5。2017年春、武豊キタサンブラックが2番手で先行して計時したレコードタイムである。上り4F47秒7、3F 35秒5という流れを確かめると、最後に弾けたというよりも、松山弘平ヤマカツライデンの前半5F58秒3という玉砕的なハイペースを、ハロン12秒(100mを6秒)平均で不屈に粘り抜いて刻んだレコードタイムだった。敢えて言うならば、およそ30年前の岡部幸雄シンボリルドルフのような強さを見せつけたということだろう。闘った相手のレヴェルを考えるなら、この崩れない粘りもまた驚異的だった。 キタサンブラックは、ブラックタイドの産駒である。 ブラックタイドは、ディープインパクトの全兄であり、04年のスプリングSを勝ち(この時点で5戦3勝)、おそらく皐月賞(16着惨敗)で脚部不安に見舞われなければ、その後2年の屈腱炎による休養もなく、1流馬としてのキャリアを積み重ねたはずの馬だった。2年後に復帰を果たしたが、その後は未勝利で競走馬としてのイメージは、「愚兄賢弟」の証明としか思われなかったのだった。 しかし面白いことがある。ディープインパクトの産駒では、昨秋の菊花賞でサトノダイヤモンドが勝ち抜いたが、春・天皇賞を含めて3000mを超える距離での活躍馬はいない。2400m、2500mまでの華麗な産駒成績が嘘のようである。 それに比して、ブラックタイドの産駒キタサンブラックは、ただ1頭だけで菊花賞を勝ち、春天皇賞もレコードで2連覇を達成した。その母の父サクラバクシンオーが競馬を知る者にはどうしてもマイル以下の短距離馬というイメージが重な