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9月, 2017の投稿を表示しています

失語症的症状?

近頃、私は私自身の言葉を失ってしまっている。 ここ7年の間、このささやかなブログを通して、せめても筆先を鈍らさないように、折に触れて関心ある事柄を書き記してきたが、コツコツと積み上げてきた(本来怠け者の私だが、相当な覚悟と努力を続けてもきた)ものと、現実社会のご都合主義の風潮や刺激の無さに、何となく違和感を抱き始めてしまっていたのだ。 こうなると、今このとき、なにをどう料理して文章にすべきかというモチベーションはいっきに下がって、もうどうでもいいんじゃないかと、無力感を思い知らされることになる。 まあ、例えば倦怠期の夫婦とか恋人同士とか、慢性疲労の蓄積で闘志の湧かなくなったアスリートや受験生の心境、とでも言えばいいのだろうか? で、ずっと文章修行も感性磨きのお勤めも隅に追いやって、沈黙の日々を過ごしていた。いや、黙って沈黙しているのも、逆にときたま沸き起こる言葉が内向きに向かって攻め立てて来るので、結構つらいものがあると教えられもした・・・。孤独に過ごすのは、他者との気分転換のくだけた会話もなく、逃げ場も失ってしまうのだ。うーん・・・。 とは言え、昨日あたりから刺激を感じさせてくれなかった世の中も、何となく何かが起こりそうな気配があるようだ。 私の失語症的症状も、そろそろ回復の兆しが生まれてくるのかも知れない。 さて、どうだろう?

9月6日 大内延介九段を偲ぶ会~竹橋:如水会館

竹橋:如水会館に着いたのは会が始まる20分ほど前だった。 そのまま受付に向かうと、すでに一部開場されている部屋の中から、手を上げて合図を送ってくれる人物がいた。 エッ?誰だろう?と、目を凝らしてみると、何と駒師出石だった。ここしばらく連絡もしていなかったので、久し振りの再会だったが、時間の空白など少しも感じることはなく、この時代にそこにタバコ仲間がいてくれた心強さに安心感を覚えただけだった。 で、そのまま連れ立って3Fの喫煙デッキに向かい、一息ついて会場に戻ると、パテーションが開けられ献花の祭壇が飾られたその隣では、バイオリンとピアノの生演奏が始まっていた。 午後5時。「大内延介九段を偲ぶ会」が始まった。会場には、故人を偲ぶ150人ほどの人たちが集まっていた。 棋士で言えば、佐藤康光会長、西村九段、郷田九段らがいたし、勿論孫弟子の藤森五段、梶浦四段をも含めて大内一門は勢揃いしていた。 会が進めば進むほど、故大内九段の人となり、交友の広さが浮かび上がってくるように感じてならなかった。改めて価値ある人を失った無念が会場を包んだ。 5月5日のこどもの日、私は大内九段とお会いしたが、そのときの病にやつれた姿に、実は大きなショックを覚えていたのである。その半年前に会って、冗談を言い合った時とはまるで別人の姿だった。いつもの大内九段特有の精気が失われていた。だからこうなることは予感していたが、それでもまだ何度かは会えるはずだと信じようとしていたのだ。 しかし前立腺癌は、おそらく腰骨にまで骨転移し、その転移は肝臓に達してしまったのではないだろうか?同じ流れで身内を失ったことがあるので、医者ではない私でも想像はつく。 そう言えば、あのとき愛知・豊川の駒師清征が持参した2組の「怒涛流大内書」の彫り駒は、大内九段の遺品となってしまったが、それは鈴木大介九段が受け継いでくれたという。 その鈴木九段と、私と出石は会場で話をした。 「あの怒涛流大内書は、私がお願いして、一昼夜をかけて大内九段が書を仕上げ、この駒師出石が駒書体として完成させた言わば大内一門の宝物です。ぜひ鈴木九段にきちんと受け継いでいただきたいんです」 「そうですか。あの彫り駒もいい駒ですよね。先生の書体ですから大事にしなければいけませんね」 「出石は大内九段から依頼を受けて、すでに10数組